十数年前に自殺した漫画家の山田花子さんがASではなかったかという説はネットのどこかで見ましたが、亡くなった当時はまだ日本に発達障害の概念がなかっ たか、あっても一般人の知るところではなかったので、後の時代の人間の推測に意味はありません。すぐ「誰々はAS」と言うのはよくないことです。
  
 遺された日記が出版され、今も地味に版を重ねています。私は初版当時立ち読みしましたが、最近また書店にあるのを見たので、上記AS説を思い出しながら手にとってみました。
 本編を立ち読みで読むには体力と精神力に自信がなかったので、前書きと後書きだけ読みました。こういう故人の日記ものは、本編よりも前書きと後書きに重要なことが書かれているものです。
 
 後書きには、読者の感想として、共感できるというものもあれば
「ネガティブで後ろ向きな考え方が嫌になる」
という意味のものもあったと記されていました。亡くなった漫画家さんのお父さんが
「自分も、ポジティブに前向きに努力していけば社会で生きていくくらいのことはできると信じていたけれど、それがどうしてもできない人間もいることを知った」(正確な表現ではありません、立ち読みなので)
と書いていらっしゃいました。昔立ち読みした時、この文だけ印象に残っていて、それがまだあるか確かめたかったのでした。
 
 ネガティブで後ろ向きって本当に嫌われるんだなと改めて感慨深くします。何度か書きましたが、私はポジティブや前向きという言葉は悪徳商法くさくて嫌いです。
「もっとポジティブに考えろ」
と言う人は、私の経験上ほぼ間違いなく嘘をついています。自分の嘘を追求するなという意味です。
 
 と書くこと自体ネガティブで後ろ向きなのでしょう。よく言われました。私の経験上こういう時はこうだと言うと、1回の経験を全てにあてはめていると怒られます。
 過去の似た経験を引っ張り出してその時の教訓から判断するのは当たり前ではないんですか。経験以外の何を判断基準にしろと言うのでしょう。
 
 私をネガティブだと怒る人は、ネットでも現実でも、何でこんなくだらないこと(自分基準)でそんなに怒れるんだというくらい強烈に怒ります。
 アメブロ版の添え文で、説教するニートの脳内シリーズ
ポジティブなニート>>>越えられない壁>>>ネガティブな労働者
を書いていて、お笑いのつもりだったのですが、段々みんな本当にこう思っているんではないかと笑えなくなりました。
 
 働きたくないけど働いている人は世の中にたくさんいるであろうに、ポジティブでないという理由でニートより迫害されるのか(ニートは迫害されるべきという意味ではありません、説教するニートは迫害されるべきですが)と思うとげんなりして後ろ向きになります。
 
 
 9月4日の記事。ポジネガの距離は電車の座り位置の違いと表現されたのはきむろみさんのコメントでした。私にはわずかな距離に見えるけど、向こう側からは遠いのです。