出会いの時期の距離感に対する意識の違い を乗り越えられたとしても、その後一定の距離を保ち続けるのか、距離を縮めようとするのか、どの程度のスピードで縮めるのかがさらに難関です。
 
 ここが、空気読み能力の求められるところでしょう。電話番号やメールアドレスを教わっても、用事もないのに連絡するのはまずい気がするし、連絡取らないうちに疎遠になることはよくあります。
 近づきすぎて嫌がられることもあるし、逆にこちらが不気味に感じること(何?)もあります。もしかしたら嫌がられていないか、私メール送りすぎかしら、とグルグルが始まると楽しくなくなります。
 
 友達がいないと欠陥人間みたいに思われるのではないかと、学生時代の友人との連絡を躍起になって維持し続けましたが、AS診断後は自分から連絡するのをやめました。
 そうすると誰も普段は連絡してきませんが、年賀状はくれるし、メールアドレス変更をお知らせしたら 返信をくれたし、友達とは思ってくれているのです、多分。
 これくらいの距離感がいいのかも知れません。つかず離れず。彼女たちにも普段のコミュニティがあります。職場の同僚、趣味の仲間、奥様グループなど。私は現役の「友達」ではないのです。
 しかし彼女たちの所属コミュニティが変わってその人たちと疎遠になっても、私に年賀状をくれるでしょうし、メールすれば1回は返信をくれるでしょう。彼女たちとは、もう第4段階静寂 にたどりついてしまったのでしょうか。
 
 異文化交流議論の初期である昨年12月、「距離と関係の反比例 」の中で、距離が遠いほど尊重でき、近づくと傷つけ合うということを書きました。
 自分の領域と相手の領域を守るためにはお互いに近づきすぎないことです。近づきすぎには懲りたものの、近づいてみたいという願望もあるのです。不思議なものです。
 
 
 8月18日の記事。ネットカフェ難民5400人て少なくありませんか。あれだけ社会問題になっているから何万人もいるのかと思っていました。そんな訳ないですね。うち4900人くらいはネットカフェ難民という言葉ができてからなったのではないでしょうか。私も初めて聞いた時はその手があったかと感心いたしました。