神シリーズのラストはこのタイトルで締めたかったのですが、この結論にたどり着けるか、どんな形でたどり着くのかは心配でした。
 神の正体3部作で、「優しさ 」「相対的価値観 」「呪いの予言 」を上げましたが、どれもしっくりきません。結局は過去の説教の記憶に汚染された内なる声が、恐怖のあまり神の姿に見えていただけのような気がしてきました。あのうっとうしい、内なる声は神の声ではなく汚染物質の声です。
 
 現代社会で添加物も農薬も避けた食事を取るのが困難であるように、説教という毒素が体内に蓄積していくことを完全に防ぐことはできません。私は出来合い品ばかり食べているから、食品添加物が体内に溜まりまくっていると思いますが、それと同じように、説教も沈殿していきます。解毒できたとしても一時のことで、また蓄積します。汚染物質がこの世にある限り。
 
 「説教する弱者 」は異文化交流議論のために書いた記事の中でもお気に入りの1つですが、説教族の中には弱者もいる、というよりは弱者の中には説教族もいる、ということかも知れません。弱者を振りかざして説教するというよりは、弱者だからこそ説教してみたくて仕方ないような。(アタシだっておままごとでママの役やってみたい理論
 人の世話になって生きていれば、普通の神経であれば自分を支えてくれる人に感謝の念を抱くでしょうから、そのことが世界を流れる優しさの循環に貢献することは可能ですが、自分が説教されてばかりいるとストレス溜まって他人を説教したくもなるのでしょう。
 
 しかし説教できる頃合の相手がいないものだから仕方なく働いている人間を
「怠け者」「努力が足りない」
とののしって神経症に追いこんで引きずり降ろそうと企む、害悪たち。
 汚染されたターゲットはさらに有害物質を撒き散らしつつ次のターゲットに向かいます。ああ気持ち悪い。何かに似ています。細菌の増殖、リングウィルス、「デビルマン・レディー」のデビルビースト(また誰もわからない例えを)。
 
 化学肥料が、食品添加物が、放射能の危険が、もはや人類の生活から取り除くことができなくなったように、説教という汚染物質も生きていく限り存在し続けます。放射能に比べるとスケールが違いすぎますが。
 説教についてはいろいろ研究してきましたが、説教=体内汚染物質、あるいはリングウィルスという例えが私自身を納得させるものとなるかを知るには、もう少し時間がかかります。私は人よりもこの汚染物質を溜めこみやすいのでしょう。
 
 汚染物質に滅ぼされるか、少しでも除去し続けることで滅亡を遅らせることはできるか、あるいは宇宙戦艦ヤマトが「説教除去装置」を持ち帰ってくれて地上の楽園が実現するかも知れません。文章がふざけているように見えますが大真面目です。ウィルスとの戦いは、私が私自身の存亡をかけてこれから歩いていく道です。滅ぼされるその日まで。
 
 
 8月3日の記事。「努力さえすればどんなに怠けていてもいい」がなぜ成立するのかわからなかったのですが、努力の意味が全然違うのかも知れません。具体的に何かすることではなく「努力するぞ」と心で思うことである、とか。
 努力しています、と言ってもそう見えない、証明しろ、と追求されるのはやっぱりわからないのですが、この人たちは自分が心で思っていることを他人にどうやって証明しているのでしょう。自分は証明しなくていいけど他の人は証明しないといけないとか。やっぱりわかりません。