ナイジェルさんの記事
▼差別とヘイトスピーチQ&A(1)「差別する心」(Q1-Q2)
▼差別とヘイトスピーチQ&A(2)「差別する心」(Q3-Q5)
のQ&Aにまたまた便乗して、自分の考えをまとめてみます。

 

Q1 差別をしない人間はいると思われますか?

 差別という言葉の意味を広く捉えれば、いません。社会秩序は序列を必要としているからです。非常に狭い意味に限定すればいるかも知れません。
 
Q2 「差別をしていない」(あるいは「差別はいけない」)と言った時点ですでに「差別をしている人に対して差別をしている」というパラドックスに陥っていないでしょうか?
 それを言い出すと日本語が成立しないので、「陥っていない」をマイルールとして決議します。論点ずらしは混乱します。
 
Q3 「差別はしない方がいい」という考え方は今の社会の風潮として定着していると思われますか?
 考え方としては定着していると思いますが、その意味や捉え方が人によって随分違います。
「障害を言い訳にして健常者と同じにできないのは努力が足りないからだ、怠け者怠け者怠け者、努力しろ努力しろ努力しろ」
と恫喝することが差別しないことだと思っている人はたくさんいます。
 総論賛成各論反対というものです。
 
Q4 「差別をしない人はいない」ということを認めた方がよい社会になり得ると思われますか?
 よりよい社会になるかどうかはわかりませんが、そこは認めないと話が進まないでしょう。
 
Q5 差別に基づいた暴力や名誉毀損は、他の場合よりも重罪を課すべきだと思われますか?(改題)
 私はルールがある方がありがたいので、社会が本気で差別をなくそうと考えるなら法整備は勧めるべきと考えます。
「差別意識があった」
と証明することは困難とは思いますが、法律になってしまえば多くの人が知ることになりますし、道徳(徳育)か社会科の授業で次代を担う青少年にきちんと教えることもできます。
 
 この質問(改題しましたが)の入ったナイジェルさんの記事に、異文化交流議論中間報告で、私は
「法は意識を裁けない」
というメモをつけました。
 どんなに差別的考え方を持っている人でも、それを変えることはできません。心の中では犯罪的なことを考えていても、普通はそれが悪いことだと知っているから行動には移さないでしょう。裁けるのは行動だけです。
 人によって意味の幅が違うことであるだけに、法律とまではいかなくてもルールが整備されていかないと多様な価値観を持つ人々を包括するのは難しいように見えます。
 
 
 7月1日の記事。ナイジェルさんのご用意されるテンプレはいつも使いやすいです。
「社会秩序は序列を必要としている」
については、異文化交流議論の中で少し触れましたが、いつかちゃんと書いてみたいネタのひとつです。