私は努力が嫌いなんですが、それは努力したくないという意味ではなく、努力=説教の構図が出来すぎて恐怖症になり
「努力しなければならない」
系の文章を見る度に過敏に反応しているということです。このエントリーも、過敏に反応した結果だと受け取っていただければ幸いです。
 
 努力強要の根拠のひとつに、エジソンの名言
「天才は99%の努力と1%の天分である」
があります。1%の天分のことを言いたかったのに、99%の努力の方に注目が行ってしまったとエジソン自身が嘆いたという話はウィキペディア にも載っていました。
 努力と天分というのは正しい訳ではないようですが、対比しやすいので、一応日本で広く知られている努力と天分という単語を使って考察します。
 
 99と1を足すと100だから、足し算に見えますが、凡人がエジソンと同じだけ努力してもエジソンの99%まで行くでしょうか。何がしかの人物にはなるでしょうが、エジソンの99%まで行けば歴史に名は残るでしょう。ケプラーとか野口英世とかドクター中松とか。ここまで行ければ大したものです。
 
 エジソンが誰も追いつかないほどすごい努力をしたというよりは、99+1=100という式が間違いである可能性が高いです。だとしたらかけ算でしょうか。なるほど、どんなに才能があっても努力しなければ結果はゼロであるという説には大いにうなずけます。
 しかしエジソン並に努力しても天分がゼロなら結果はゼロということはないでしょう。すると、足し算でよいが99と1ではないと考えた方が良さそうです。
 50+50、うーん、35+65で天分優先な気がするんですが、いかにも怒られそうですね。結果は全て本人の努力次第教ある限り。
 
 さっきのウィキペディアにもあったように
「自分の発明は自分が考えたものではなく、自然界や宇宙の声を聞いたもの」
というのが妥当なところではないでしょうか。本人がそう言っているのですからきっとそうでしょう。
 異文化交流議論の海風さんの記事「無神論者の信仰 」にあるような、見えざる手、超自然的なものに救われたような経験は、少なからず誰もがしていると思います。
 私のような者でも、自分で考えたとは思えない言葉が、表現が次々とこぼれてくることがあります。自分の努力以外の力で生かされている、という感謝の気持ちが、全て本人の努力次第教につぶされるのは残念です。
 
 
 5月14日の記事。エジソンはこの名セリフのお陰で努力の象徴みたいになってしまいましたが、学校に行っていないので、現代日本であれば
「学校に行こうと努力する気持ちが感じられない」
と説教されるタイプでしょう。エジソンが学校に行っていないから自分も行かなくていい、という性格の悪い子供は私の周りにはいませんでした。学校に行かなかったからこそ無駄な努力をしないで済んだ、と私はもちろん考えていません。