自尊感情について考えようとしたら説教妄想におそわれ、それと戦うだけになっているシリーズがまだ続いています。
コップの水が半分入っている状態で、
「まだ半分もある」「もう半分しかない」
のどちらの捉え方をするかで何かが違う、みたいな話を時々見ます。
「まだ半分もある」→楽観的→○ 「もう半分しかない」→悲観的→×
だと思っていましたが、
「まだ半分もある」→だから怠けてもいい→× 「もう半分しかない」→だからがんばろう→○
かも知れません。ポジネガ逆ですね。
コップの水が半分入っている状態で、
「まだ半分もある」「もう半分しかない」
のどちらの捉え方をするかで何かが違う、みたいな話を時々見ます。
「まだ半分もある」→楽観的→○ 「もう半分しかない」→悲観的→×
だと思っていましたが、
「まだ半分もある」→だから怠けてもいい→× 「もう半分しかない」→だからがんばろう→○
かも知れません。ポジネガ逆ですね。
日本語には足るを知る、という言葉があります。これは自尊概念を含む言葉かと考えたのですが、探してみると強者(経営者、政治家、金持ち)が弱者(労働者、国民、貧困層)に向けて使うような使われ方でがっかりです。金持ちが貧乏人に
「足るを知れ」
と言ったらいかんです。お前が知れよ、と言いたくなりますが、こういう言葉は自分ではなく他人に使う言葉なのかも知れません。努力は強要されるが見返りは求めてはいけない、というのが根底にあって、これも「強くなれ 」同様、支配者層がうまく作り出した概念なんではないかと疑います。
「足るを知れ」
と言ったらいかんです。お前が知れよ、と言いたくなりますが、こういう言葉は自分ではなく他人に使う言葉なのかも知れません。努力は強要されるが見返りは求めてはいけない、というのが根底にあって、これも「強くなれ 」同様、支配者層がうまく作り出した概念なんではないかと疑います。
へとへとになるまで働いて愚痴をこぼすサラリーマンよりも、来年こそ就職して親に恩返ししたいと語るニートの方がエラいのが、ネット上の世界です。エラくないからと怠け者と非難される筋合いはありません。
こうしたい、こうなりたいという計画なんか実行されないうちは妄想でしかない、実際にやったことの方がエラいのだ、間違っていないぞ、私は絶対正しいぞ。
こうしたい、こうなりたいという計画なんか実行されないうちは妄想でしかない、実際にやったことの方がエラいのだ、間違っていないぞ、私は絶対正しいぞ。
いや、違う、どっちでもいいのです。
「こんなにできた」
でも
「まだまだがんばらないと」
でも。私だって後者を考えることはよくあります。
他人に強要するからいけないのです。「自分に」対してなら尊重するもよし、叱咤激励もよし、ポジティブでもネガティブでも何でも自由です。他人に勧めるから(また勧められたかのように受け取るから)話がおかしくなるのです。
「こんなにできた」
でも
「まだまだがんばらないと」
でも。私だって後者を考えることはよくあります。
他人に強要するからいけないのです。「自分に」対してなら尊重するもよし、叱咤激励もよし、ポジティブでもネガティブでも何でも自由です。他人に勧めるから(また勧められたかのように受け取るから)話がおかしくなるのです。
3月16日の記事。「ポジティブになれ」というのはよくある説教ですが、ポジネガは簡単に逆になるのでどっちでもいいのです。押しつけられるのは嫌ですが。その前に、ポジティブというのはいかにも悪徳商法が怪しい点を追求された時に誤魔化す言葉っぽくて嫌いです。個人的に。(例:「この商品は高すぎませんか」「高いからこそ性能がいいとポジティブに考えて下さい」)
相手の大事な部分を否定せず、また相手も自分を否定しないでいてくれるなら、一部の考えは違っても交流は可能だと思いたいです。