藤井誠二のブログ(呼び捨てにしているのではなくこういうブログ名)のエントリー「思い通りにならないはずの他者を思い通りに「する」ことが好きで好きでたまらない人たち
」から引用。
世話をする。教育をする。しつける。ケアをする。支援する。看護する。カウンセリングをする。修復する。和解させる。蘇生させる。
こういうケア・教育系の「する」「させる」情熱でもって、思い通りにならないはずの他者を思い通りに「する」ことが、好きで好きでたまらない人たちがいる。
また、このタイプの情熱は、容易に、いじめに転化する。というよりも、しばしばいじめと区別がつかないようなしかたで存在している。
こういうケア・教育系の「する」「させる」情熱でもって、思い通りにならないはずの他者を思い通りに「する」ことが、好きで好きでたまらない人たちがいる。
また、このタイプの情熱は、容易に、いじめに転化する。というよりも、しばしばいじめと区別がつかないようなしかたで存在している。
私が説教族と呼ぶ善意の人々に批判的なエントリーはネット上では案外しばしば見かけますが、現実ではこういう人たちを悪く言うのはタブーでした。優しい人たちですから。いい人たちですから。その優しさを悪く受け取ってしまうのは、私の心がけが悪いのだと、呪縛のように思わされてきました。
そう思わなければならないのは、親が、先生が、子供に指導するために必要だからです。親や先生が悪いのではなく、子供には必要な知識やルールを身につけさせなければならないし、自分で判断する能力も経験もないからです。「嘘をついてはいけない」同様、しつけのためのルールです。
そう思わなければならないのは、親が、先生が、子供に指導するために必要だからです。親や先生が悪いのではなく、子供には必要な知識やルールを身につけさせなければならないし、自分で判断する能力も経験もないからです。「嘘をついてはいけない」同様、しつけのためのルールです。
どこかで呪いを解かないと大人になれません。親でもなければ先生でもない、何の責任も上下関係もない相手に、子供をしつける大人のような態度で近づいてこられると、嫌なんですが、嫌だと思うことすら封印されます。
「厳しくするのが本当の優しさだ」
厳しくという時点で対等に見ていません。支配者と被支配者の関係です。何を根拠に自分の方が立場が上だと思いこむのでしょう。
「厳しくするのが本当の優しさだ」
厳しくという時点で対等に見ていません。支配者と被支配者の関係です。何を根拠に自分の方が立場が上だと思いこむのでしょう。
嫌悪感は罪悪感となって戻ってきます。そんな風に思うのはいけないこと、感謝しなければならない、感謝すれば相手はさらに親切にしてくる(どんなに嫌なことでも)、この人はいい人だ、優しい人なんだ、我慢しなければ、我慢、我慢。そしていよいよ追いつめられ、やめて欲しいとお願いすると
「言ってくれないとわからない」
と逆ギレされ、
「何で他人の助言を素直に聞き入れられないのだろう。破滅してみないとわからないんだろうね」
と触れ回られるのです。
何でも言葉通りに受け取る私は、最初に嫌だなと思った時言わなかった私が悪いのだと思いこみ、ちょっと注意されただけで反発する態度を示してさらに人間関係を壊します。全員が恐怖の支配者に育っていく訳ではないのに、反射的にあの恐怖がよみがえります。
「言ってくれないとわからない」
と逆ギレされ、
「何で他人の助言を素直に聞き入れられないのだろう。破滅してみないとわからないんだろうね」
と触れ回られるのです。
何でも言葉通りに受け取る私は、最初に嫌だなと思った時言わなかった私が悪いのだと思いこみ、ちょっと注意されただけで反発する態度を示してさらに人間関係を壊します。全員が恐怖の支配者に育っていく訳ではないのに、反射的にあの恐怖がよみがえります。
じわじわと迫り来る恐怖の支配に説教族と名付けた時、その姿がようやく見えてきました。私には嫌だと思う権利がちゃんと存在している、そして多くの人が、あの恐怖の支配を嫌悪する気持ちを持っていることも。
3月3日の記事。こういう文章は、真面目に医療や教育の仕事に携わっている人をドキッとさせてしまいます。本職はよいのです。限度はありますが。