前にトラックバックしていただいたみつくるさんの記事「コミュニティの要素 」で、
「異文化交流の目指すべきゴールはコミュニティの形成か、儀礼的無関心か」
という話題が出ました。
 この議論が、大変コミュニケーションの難しい人(私にとっては説教族)との交流方法へ向かった時、私には否定的な気持ちがありました。交流できる人と交流できればいいと思っていましたから。しかし世の中には、好きな人とだけ交流できることよりも、自分に選択権のない交流の方が多く存在します。
 
 トラックバックの元記事である「ネットワーク論 」を書いた時
「コミュニティは心のつながり」
と書いた部分を後で
「情緒のつながり」
と直しました。学校や職場や地域で、生きるために形成されるコミュニティに果たして心のつながりがあるのか、必要なのか、という疑問が生じたからです。他の目的で形成されることが多いように見えます。
 
 サイボーグ009(また漫画か)も、たまたま各国から誘拐されて改造手術を受けた9人で結成された異文化チームです。
 言葉が通じるのは、テレパシーで会話しているのでしょうか。言葉が通じなければチームを組むのは難しかったでしょう。3人くらいならまだしも、9人です。会社や学校やネット上を考えると、コミュニティも9人となると結構な規模で、まとまるのが大変です。しかも全員が、お互いに外国人です。
 人種、肌の色、育った環境も様々で、細かい衝突は何度もあったに違いありませんが、悪の組織を倒すという共通の目的達成のために、彼らのコミュニティは盛り上がりました。友情は後からついてきたのです。
 
 コミュニティ形成には、ただ相性の悪い相手に我慢するというだけでなく、共通の目的が必要です。説教族とは目的が違っていました。共通の目的もなく、友達としても最悪と思える人たちとは、儀礼的無関心で袂を分かちましょうというのも、ゴールであってよいと考えました。
 
 
 2月20日の記事。アメブロは現在デフォルトでトラックバック拒否ですが、私は少し前までいちいち開けて投稿していました。そして変なトラバをどっといただきました。過去記事にも。しかし、新規投稿時は拒否のままにして、次の日開けるようにすれば、過去記事にも変なトラバはつかないようです。すぐ開けてはいけません。