わたりとりさんの短編小説「オレはシャイダン
」のコメント欄で
「ブログはメディアか、公開された私的空間か」
という話題がありました。
メディアという言葉をどういうくくりで捕らえるかも人それぞれのようですが、私は読者としては、ブログをメディア(情報収集のための媒体)として読みます。日常生活を綴ったただの日記でも、他者の生活実態を研究する材料だったりします。
「ブログはメディアか、公開された私的空間か」
という話題がありました。
メディアという言葉をどういうくくりで捕らえるかも人それぞれのようですが、私は読者としては、ブログをメディア(情報収集のための媒体)として読みます。日常生活を綴ったただの日記でも、他者の生活実態を研究する材料だったりします。
書き手としては、自分でメディアと呼ぶのは傲慢な感じです。こんなのがメディアかい、とせせら笑われたら、私は恥ずかしくてシュンとなります。だから、このブログは「公開された私的空間」です。
新人ブロガーの分際で情報発信者を気取っていると、ベテランブロガーからはおそらくひどく生意気に見えます。だから、開設後間もない時期は同化圧力が仕掛けられるんではないか、という気が今はします。上から目線でたしなめられると、情報発信(恥ずかしい)というより先生に提出する作文を書いているようで、全然楽しくありません。
新人ブロガーの分際で情報発信者を気取っていると、ベテランブロガーからはおそらくひどく生意気に見えます。だから、開設後間もない時期は同化圧力が仕掛けられるんではないか、という気が今はします。上から目線でたしなめられると、情報発信(恥ずかしい)というより先生に提出する作文を書いているようで、全然楽しくありません。
これだけブログが増えてくると、ブロガー同士の人間関係は重要です。新人はそのシマ(って何だよ)を統括するベテランに辞を低くしてあいさつし、ここそこで活動いたしますんでどうぞよろしう、と頭を下げ、しばらくは腰ぎんちゃくを務めた後独立する、という手順を考えないといけません。その間にネットマナーも学べます。
会社でも、入社3年(あるいは1年)は意見を言うなと言われますが、これを破るとどんなに優秀でも生意気だとボコボコにされます。ブログ界は移り変わりが激しいとはいえ、少なくとも開設後1年は
「うちは公開された私的空間ですうううううう、メディアってなーに?」
な顔をしておき、周囲に認められるのを待つ必要があります。
会社でも、入社3年(あるいは1年)は意見を言うなと言われますが、これを破るとどんなに優秀でも生意気だとボコボコにされます。ブログ界は移り変わりが激しいとはいえ、少なくとも開設後1年は
「うちは公開された私的空間ですうううううう、メディアってなーに?」
な顔をしておき、周囲に認められるのを待つ必要があります。
ブログ文化論の頃のちょっちぷんさんの記事「フローリフェラス・フローリッシュ
」で、ファンを
「マーク シュマーク スマート」
の3層に分けるプロレス業界用語を紹介し、マニアなシュマークが最も大衆的なマークを敵視する構図をネット界に例えていました。マークが増えてくるとさらにその中に階層が出てくる、という話もしました。ブログ界でも、黎明期からやっていた人からさっき開設ボタンを押した人まで、様々な段階があります。
「マーク シュマーク スマート」
の3層に分けるプロレス業界用語を紹介し、マニアなシュマークが最も大衆的なマークを敵視する構図をネット界に例えていました。マークが増えてくるとさらにその中に階層が出てくる、という話もしました。ブログ界でも、黎明期からやっていた人からさっき開設ボタンを押した人まで、様々な段階があります。
70歳くらいの、珍しい病気にかかった人のブログを見ました。情報が少ない中、同じ病気の人のサイトが救いだった、今度は自分が恩返ししたい、そのために、PC教室に通った、とありました。病気や障害系のブログは荒れやすいと言われますが、心ないコメントにつぶされないようにと祈らずにいられません。
今までなら発信手段を持たなかった人々の言葉がWEBに登場することは、情報を探す側にもメリットあることだと思うのです。
今までなら発信手段を持たなかった人々の言葉がWEBに登場することは、情報を探す側にもメリットあることだと思うのです。
1月23日の記事。アメブロ版ブログタイトルをYahooと合わせるべきかということについての投票を、Yahooでやっています。投票という形を取れば、「今まで通りで」という人が多いのですが、コメントを見ていくと、このブログをどう位置づけていくかということに考えが及びます。