「アカルマとヴィカルマ
」を書いた時、私も善業積まなくては、と思いました。引用部分に書かれている善業は、普段やり慣れていないことばかりです。
■身業(しんごう)
身体的活動による業。殺生や暴力、盗みなどは「身業の悪業」、救助や看病などは「身業の善業」になる。
■語業(ごごう)
言葉による業。罵倒、陰口、嘘などは「語業の悪業」、褒めたり励ましたりは「語業の善業」になる。
■意業(いごう)
心(感情など)による業。嫉妬や嫌悪は「意業の悪業」、同情や思いやりは「意業の善業」になる。
身体的活動による業。殺生や暴力、盗みなどは「身業の悪業」、救助や看病などは「身業の善業」になる。
■語業(ごごう)
言葉による業。罵倒、陰口、嘘などは「語業の悪業」、褒めたり励ましたりは「語業の善業」になる。
■意業(いごう)
心(感情など)による業。嫉妬や嫌悪は「意業の悪業」、同情や思いやりは「意業の善業」になる。
救助や看病はどこですればいいんでしょう。ボランティアに参加? うちの両親ピンピンしているし、えーと、その前に看病とは何するんでしょう。おかゆ、薬、額を冷やすもの・・・それは風邪か。
救助だってそうチャンスがあるとは思えません。川で溺れている人を見つけたとしても、私カナヅチだし、他の人を探すか、110番するくらいしか、この場合119番になるのかしら。うーん、うーん。
救助だってそうチャンスがあるとは思えません。川で溺れている人を見つけたとしても、私カナヅチだし、他の人を探すか、110番するくらいしか、この場合119番になるのかしら。うーん、うーん。
ほめたり励ましたり、というのも自分がやろうとすると意外と難しそうです。ほめ方が悪いのか、居合わせた人に
「あんなこと言われたらムカッとくるよ」
と注意されること多数です。確かにほめるとか励ますというのは上から目線ですから、自分より明らかに目下の人に対してでないとまずいのかも知れません。でもそれって見下しているということではありませんか。
それにたいていはほめると否定されるから、喜んでいるのかムカついているのか区別つきません。ほめて否定されたらそれをまた否定しなければならないし、どこでどう止めていいかわからず、微妙な感じで会話が終わってしまいます。
「あんなこと言われたらムカッとくるよ」
と注意されること多数です。確かにほめるとか励ますというのは上から目線ですから、自分より明らかに目下の人に対してでないとまずいのかも知れません。でもそれって見下しているということではありませんか。
それにたいていはほめると否定されるから、喜んでいるのかムカついているのか区別つきません。ほめて否定されたらそれをまた否定しなければならないし、どこでどう止めていいかわからず、微妙な感じで会話が終わってしまいます。
同情や思いやり、もっと難しそうです。どうしたら同情したことになるのか、どうしたら思いやったことになるのか、うがー。自閉症は思いやりを持てない障害と言われますが、思いやりには適切な場面で適切な行為や言葉を選択する瞬発力が必要で、かなり高度な場面別判断能力が要求されます。
相手の嫌がることをしないようにしましょうの方が、まだデータを積み重ねることで可能になります。Aさんにはこれをしてはいけない、Bさんにはこれを言ってはいけない、とあらかじめ準備しておけます。
相手の嫌がることをしないようにしましょうの方が、まだデータを積み重ねることで可能になります。Aさんにはこれをしてはいけない、Bさんにはこれを言ってはいけない、とあらかじめ準備しておけます。
私は果たして現世でアカルマ積めるでしょうか。ヴィカルマ振りまく人も嫌だけど、やたらアカルマ積もうと親切押しつけてくる人も説教族化しそうです。なお、
「そういう時はこうすればいい」「それはこういうことではないでしょうか」
というコメントはしないで下さい。
「そういう時はこうすればいい」「それはこういうことではないでしょうか」
というコメントはしないで下さい。
1月7日。そういう職業でない人が救助や看護をするのは難しそうです。しつこいですが
「自分がして欲しいことを人にしましょう」
というのは、応用利かないのでやめて欲しいです。自分がして欲しいことが相手のして欲しい事とは限らないし、社会に出たら人の嫌がることたくさんしないといけません。お金払わない人に請求するとか、ポイントカードを作るように勧めるとか。