残り3話、12月19日最終回とテレビ雑誌に出ていました。年末は特番目白押しだから仕方ありませんが、伏線消化しきれるのでしょうか。妹が1回目か2回目でファミレスで夜バイトしたいと言ったのは何かの伏線かと待っていたのに私が見る限り全く触れられず、謎のままです。草なぎさんの演技は素晴らしいですが。
今回は動物園の園長の話。この園長は障害者に理解のあるふりをする偽善者という設定ですが、早速突っこむと、
「理解する」と「理解あるふりをする」
の違いがよくわかりません。
「電車に乗る」と「電車に乗るふりをする」
なら電車に乗っているかいないかの違いが明確ですが、理解は感情を表す言葉 と同様、自分の中にしか実態のない言葉です。自分が理解しているつもりでも
「あなたは○○を理解していない」
と言われたらそうかな、と思ってしまいます。逆に、こっちから見ると理解しているように見えなくても相手が
「理解している」
と言い張る場合があります。本当に、他の人と同じものをさして理解と呼んでいるのか自信がありません。理解していようが理解あるふりをしていようが、それに伴う行為、結果が同じなら区別の必要を感じません。
「理解する」と「理解あるふりをする」
の違いがよくわかりません。
「電車に乗る」と「電車に乗るふりをする」
なら電車に乗っているかいないかの違いが明確ですが、理解は感情を表す言葉 と同様、自分の中にしか実態のない言葉です。自分が理解しているつもりでも
「あなたは○○を理解していない」
と言われたらそうかな、と思ってしまいます。逆に、こっちから見ると理解しているように見えなくても相手が
「理解している」
と言い張る場合があります。本当に、他の人と同じものをさして理解と呼んでいるのか自信がありません。理解していようが理解あるふりをしていようが、それに伴う行為、結果が同じなら区別の必要を感じません。
異なるものには本能的な恐怖を感じるのが普通の感覚です。だから、人は変わった人をいじめたりします。しかし相手が障害者だったり外国人だったりすると、理解しがたくても歩み寄ろうという気になります。こういうカテゴリー化は一般には嫌われることですが、私は理解のためにこそ必要と考えます。
初めて外国人の大人の写真を見た時、すごく怖かったのを覚えています。異文化との最初の接触はそんなものでしょう。
初めて外国人の大人の写真を見た時、すごく怖かったのを覚えています。異文化との最初の接触はそんなものでしょう。
園長が、自閉症の息子を受け入れられなかった職員と話しているシーンで考えたのですが、異文化との最初の接触の次の段階における反応は
(1)理解あるふりをする
(2)受け入れられずに逃げる
(3)同じじゃないのは努力が足りないからだ、怠け者、と罵倒する
(2)受け入れられずに逃げる
(3)同じじゃないのは努力が足りないからだ、怠け者、と罵倒する
の3つに分かれそうです。この中では(1)が最も善良です。 (1)が(2)(3)に変わる可能性もある中、(1)でい続ける園長は優しい人です。部下にパワハラもモラハラもしないし、むしろ部下たちが意地悪そうに見えた私は極悪でありましょうか。
しょっぱなから理解したと思いこめる人はかえってあやしいです。他人を理解することなど、実はあり得ないことかも知れません。だからふりをし続けることに意味があります。理解できない部分があってもいい、理解できない人がいても世界は壊れはしない、それがテラ・インコグニタ(未知の大地)なのですから。
11月29日の記事。あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
現在Yahoo版で進行している異文化交流議論はこの次の記事からなのですが、ここから事実上始まっています。異文化という言葉や、今一番ホットなテーマ、偽善が既に登場しているし、
「異文化接触の3段階」
の原型もしっかりあります。
このドラマの主題歌である「ありがとう」紅白でも歌っていましたがいい曲でした。