ラストの幼馴染の結婚式で
「僕が代わりに笑ってあげる」
と言ったセリフは、その前に出てきた回想シーンの
「私が代わりに怒ってあげる」
にかけているのだということを、2ちゃんねるを見て初めて知りました。ドラマの伏線は難しいです。小説や漫画だとその辺が多少説明的に描写されるのでわかりますが。
 
 今回は感情移入できるシーンが少なくあまり面白くなかったのですが、2ちゃんねるでは絶賛されていました。いかにもドラマドラマした作りだと思ったのですが、そこがよいのですね。
 ラストシーンの次に絶賛されていたのが、結婚の説明を受けて自分も結婚するのか、と聞く主人公に母親が
「結婚はする人もしない人もいて、どちらがいい悪いということはない」
という内容を言葉を選びながら説明するシーンです。ちょっとわかりづらいけど、ドラマの限界でしょう。まさか
「あなたは結婚できない」
と言う訳にもいきません。実際、絶対できないとは言い切れないし。普通は
「いつかそういう人と出会えたら」
みたいなことを言うのではないでしょうか。
 
 うえええ、また思い出してしまいました。
「結婚できますよ」「あなたに合う人はきっといます」
結婚について書くとコメント欄にも出没する無責任ワード。その根拠のない希望的観測こそが、私を混乱させる定型発達者の「嘘」です。
 そんな人がいるんなら今すぐ連れて来い、連れて来れないならいい加減なこと言うな、親戚の集まりで暴れたのです。親と違って親戚というのは無責任です。見合いのひとつも世話してくれないのに、その場限りの言葉だけ撒き散らします。
「結婚できないと思いこんでいるだけ」「いい人いるって、絶対」
 
 結婚を総理大臣に入れ替えたらどうでしょう
「私は総理大臣になりたくないしなる能力もない、なっても幸せになれないと思う」
別に変じゃありませんよね。同じように思う人たくさんいますよね。総理大臣になろうという気概が欲しいとか言いませんよね。総理大臣の部分を結婚に置き換えるとたちまち否定されます。
「やってみないとわからないじゃない」
試しに結婚してみてうまくいかなければ別れればいいってこと?
そんないい加減に考えたくない、というのはわがまま?
「これからいい出会いがあるかも知れないよ」
かも知れないって、頭上に爆弾落ちてくるかも知れないし、そんなこと言い出したらキリがないのでは?
 
 ああ、そろそろ説教されそうな展開です。私の文章が。今の私なら
「何て受け取り方するんだろう」「そんな意味で言っている訳ではない」
とあきれられる理由は十分わかりますが、できないことを一生懸命やろうという気概が欲しいということですな人々には私の言葉は通じません。長山藍子(母親役)の
「できることを一生懸命やればいい」
には感動しても。そして彼らの「優しさ」も、私には通じないのでした。
 
 なお、「それはこういう意味です」「こう対応したら」というコメントはしないで下さい。
 
 
 11月9日の記事。
「一生懸命やろうとする意志がない」
と説教されて一生懸命やろうとすると
「一生懸命やるだけでは意味がない、結果を出さなければ」
と説教されるような気がします。どっちやねん。両方そろえろということかも知れませんが、両方そろえると今度は別なことを説教されそうです。結婚すれば「子供は?」1人生まれれば「2人目は?」というアレですね。いつになったら幸せになれるのでしょう。