知人宅に遊びに行って買い物に出る際、1人がマンションの鍵をかけている間にもう1人が先に行ってエレベータを呼んでいました。私は一番先に玄関から出たのに、ボケッと突っ立っていただけでした。
 次回はこういう配慮をしなければ、と心に誓うのですが、買い物から帰ってきて夕食に出かける時にはすっかり忘れていて、また先を越されてしまいました。
 メモに書いておけばできると思うのですが
「複数でマンションの一室を出る時は、誰かが鍵をかけている間に先にエレベータを呼びに行く」
と書いたメモを持って常にチラ見していたら、それはそれで感じ悪いように思えます。
 
 その後焼肉屋に行きました。焼肉と言う食事は気づかいのできるできないが顕著に現れます。
 小皿を配る、飲み物を注ぐ、肉を焼く、ひっくり返す、他の人がねらっている肉は取らないようにする、自分だけが食べていないか、他の人と均等に取っているか観察する、焦げるまで誰も取らなかったら自分が取る、飲み物が少なくなったら次何頼む、と声をかけるなど、複数の気づかいを同時進行しなければなりません。
 私は何ひとつできずに後手後手に回り、次はうまくやらなくてはと神経を尖らせます。
 
 知人たちは私が気の利かない人間であることを知っています。私のいつになく異様な様子に
「そんな気にしなくていいよ」
と気づかってくれます。気づかおうとしてかえって気づかわれる自分にがっくりです。どうやってそのように気づかえるようになったか聞きました。
「社会人になった時の飲み会で、気づかいができないと先輩に怒られるから」
私も怒られたけど全然できるようになりませんでした。
 反射神経が鈍いというか
小皿がきた→みんなに1枚ずつ配らなくては
と認識している間に他の気の利く人がやってしまいます。
 
 これも、焼肉10ヶ条みたいなのを作って傍に置いてそれを見ながらだったらできるかも知れませんが、そんなの横に置いていたら一緒の人にかえって気を使わせてしまうことでしょう。
 優しい人は
「気にしなくていい」
と言いますが、本心とは限りません。この人はもうしょうがないなと認めてもらった方が楽は楽ですが、説教族は
「努力が足りない」「甘えている」
と非難するでしょう。現実に責められていなくても、過去の自分を責める言葉が反響します。一生消えない烙印のようです。
 
 
 11月5日の記事。気の利かない自分も嫌ですが、すかさず脳内に登場する説教族はもっと嫌です。消えてくれ。