この記事をトラックバックした海風さんの記事 は、わたりとりさん が長期連載して終了した小説に向けられたものです。
 
1日A4 1枚分しか
読み進められない小説が
乾いた地面を湿らせる
にわか雨だったのだなあと
そんなふうにも 思うのです。(引用)
 
 自分自身のために書いたものを誰かが待っていてくれる、ブロガーと読者の理想的なあり方です。誰かのために書くのでもなく、読んであげるのでもなく。
 
 連載終了にあたって送られているメッセージに、
「理想的な関係」
を見る時、こんな風に私を待っていてくれる人も中にはいるんだろうか、23時59分まで更新ボタンを押す人はいるんだろうか、私の言葉は誰かの役にも立っているのだろうか、と考えます。
「批判されたくないなら書くな」「パスワード制のブログサービスにでも引っこんでろ」
そう、私には書く資格などないのです。書く資格というのが、誰かに許されなければならないことなら。
 
 自分のメモ代わりなら、オール非公開でもいいはずですが、見てくれる人がいることが続ける勇気を与えてくれます。放たれた言葉は私のものではなくなるけれど、もしかしたらWebの大海に放り出すことでどこかにいる誰かに届くかも知れません。
 
 私とコメントのやり取りができる人は少ないので、サイドバーの訪問者数が、多くの人の私へのメッセージです。説教したい気持ちをグッと我慢してくれている人も、「書いてくれてありがとう」と告げてくれる人も。
 訪問者数が多ければいい訳ではありませんが、1日10人になったら別な形になるでしょう。多くなれば道義的責任も生じます。自分の言葉が有害になることもあるかも知れません。
 
 今も私は誰かのためになんか書かない、自分が書きたいことを自分の楽しみのために書く、けれど、更新を待っていてくれる人もいるかも知れない、と、サイドバーの数字が私に更新ボタンを押す勇気をくれます。
「今日も読んでくれてありがとう」「私が書くことを許してくれてありがとう」
 
 
 10月22日の記事。アメブロ版にはサイドバーの訪問者数はありません。ユニークアクセスとページビューになってきから、Yahooと比べられないし、多いのか少ないのかわからなくなってしまいました。それでも私に勇気を与えてくれるのは変わりありません。今日も見に来て下さって、ありがとうございます。