「児童心理」10月臨時増刊号「気がかりな子」をどう理解するか
という雑誌を買って参りました。普段は買うことまではしない、子供の支援者・教育者向けの雑誌をわざわざ購入したのは記念のためです。
 このブログがいよいよ活字に、なる訳ありませんが、ふぁみさん が論文で私の言葉を引用して下さいました。(ドキドキ)
見えにくい・気づきにくい困り感への配慮
という論文です。興味ある方は立ち読みして下さい。(おい)
 
 他にも多数の論文が掲載されており、学校の勉強の部分を仕事の教え方に直すと成人にもあてはまることはあります。
「この子はできないのではない、やろうとしないだけ」
という古典的な先生とか。
 
 ふぁみさんの論文にも
「このように障害といえないような子をあえてレッテル貼りする必要はないと思われる方も多いだろうが、レッテル貼りのためではない、抱えている困難や特性に気づき、自分自身が理解し、周囲の人たちも理解するためである」
というくだりがあります。
 
 こういった、従来は「障害」のカテゴリーに入らなかった「異質」に名称がつくと
「何でもかんでも障害にして」
と笑いものになりますが、残念ながら障害のカテゴリーに入れないと、どうしても
「やろうとしないだけ」
になってしまいます。
 
 「マイノリティたち 」で紹介した色弱の話 、周りに説明して歩かなければならないほどの障害でなくても、色の使い方が違うことでいじめられるなら障害というカテゴリーに入れてしまった方が、周りも
「いじめないようにしよう」
という気になってくれます。単に色の使い方が違うならいじめていいということにはならないはずですが、現実には何らかの「名称」でくくらないといじめられます。
 
 定型発達者は分類を嫌いますが、区分けしない限り、人は自分を基準に他人を判断します。私自身も含め。最初にカウンセラーが病院を紹介してくれた時
「たとえ診断が出なくても、知識が生きるヒントになる」
と言ってくれました。知識を得て自分を知り、世界を知り、道が開けました。
 
 
 9月15日の記事。本当に立ち読みされた方いますか。