今や説教用語としてよりはスカスカ語の代表として定着した
「気概が欲しいということです」
ですが、原文ではこの前に
「障害が何だ、という」
がついていました。この前半部分も私はよくわかりませんでした。
「愛し合おうという気概が欲しい」
「挑戦するという気概が欲しい」
のように、前半部分に動きのある動詞的な語がくればわかりますが、
「障害が何だ」
はキャッチフレーズ的で動きがありません。説教族襲撃1周年記念月間最終日を祝って、この難語の解析に挑みます。
 
 この名セリフを発した方はこの場面でしか登場しなかったので、背景や人となりが判然とせず、余計意味が取りづらいです。まずは、「が何だ」の前の名詞を別な名詞に置き換えてみます。
 
貧乏が何だ
 これは、貧乏だからと卑屈にならずにがんばろう、という意味と考えられます。
 
金持ちが何だ
 これは金持ちだからと卑屈にならずにがんばろう、という意味ではなく、金持ちに対して卑屈にならないようにがんばろう、という意味と推測できます。
 
 つまり「貧乏が何だ」と「金持ちが何だ」は正反対のように見えますが、ほぼ同じ意味です。もっと言うと、「が何だ」の前にどんな名詞が来るかで受け取り方を判断しないといけないのです。
 金持ち>貧乏、美人>不細工のような言葉ならいいのですが、優劣のない普通名詞だと判断に迷います。
「青春とは何だ」
は意味わかりますが、
「青春が何だ」
は一瞬意味不明です。
 
紅茶が何だ
自動車が何だ
ブログが何だ
ホストクラブが何だ
 
 だんだん意味わからなくなります。「が何だ」より前の名詞をさげすんでいるとも取れなくもありません。前後関係やその言葉に至るまでの背景に依存する言葉です。あまり前の名詞にこだわらず
「が何だ」=「卑屈にならないようがんばろう」
と捉えた方が応用が利くかも知れません。
 気概もそうですが、「が何だ」をつければうっとうしいものがなくなってしまったかのような錯覚を起こさせるところが二重に匂います。
 
 
 7月31日の記事。
「障害が何だ」
は独立した文のようですが、主語も述語も省略されている気がします。
「お皿が財布だ」
とは明らかに文の構造が違います。
 雰囲気としてはわかりますが、何を要求しているのか、私がどうすればこの人は満足するのかわかりません。ブログを書くなということですか。もしくは障害については書くなとか、アストロ球団のような山ごもり修行をしてその詳細スケジュールを書けとか。
「お皿が財布だ、という気概が欲しいということです」
の方がまだ言わんとしていることがわかります。(わかるか?)
 なお、お皿は財布ではありませんというコメントはしないで下さい。