ニュースコメントのような記事をもう少し増やしたいと思っています。後になって、この時期こんなことがあったんだ、という備忘録になるからです。単なるニュースの感想なので文句も言われないだろうと思いきや、人によっていろいろお考えがあるようです。(私の受け取り方なのでオーバー)
「たまには時事ネタ
」の時のそんなの誰でも同じだ攻撃も鮮明な記憶です。私はこの記事を書く前に、この事件に触れたブログ記事をいくつも見ました。みんな
「痛ましい事件」「被害者がお気の毒」
と語っていました。私が見た範囲内では、私と同内容の記事はありませんでした。なのになぜそんなの誰でも同じだになるのでしょう。
「本当はそう思ってないけど書く時は痛ましいとか書くんだよ」
あるいは
「みんな思っていても書かないんだから書くな」
という意味なんでしょうか。
「痛ましい事件」「被害者がお気の毒」
と語っていました。私が見た範囲内では、私と同内容の記事はありませんでした。なのになぜそんなの誰でも同じだになるのでしょう。
「本当はそう思ってないけど書く時は痛ましいとか書くんだよ」
あるいは
「みんな思っていても書かないんだから書くな」
という意味なんでしょうか。
秋田の小学1年生殺害事件の容疑者が新たな供述を始めたというニュースを見た時、私ははてブやブログ検索で、この内容を扱った記事を探しました。ひとつ見つければ、その記事に大量の検索トラバがついているので、たくさん見ることができました。
ほとんどはニュース記事の引用と似たような一言コメントの構成でした。もしかしたらそのうちはてブでいい記事が出てくるかも知れません。時期が早すぎたんでしょう。
ただ、何となく、こういうニュースにはこういう感想を抱かなければならないというマニュアルみたいなものがある気がします。
ものが事件なだけに、表現に気をつけないと何てひどい奴だ攻撃を受けるといけないし、そんなの誰でも同じだ攻撃も避けたいとなると、他の人と同じようなことを書くのが無難です。あまりにも同じコメントが続くので、たまに違うのがあるとほっとします。
ほとんどはニュース記事の引用と似たような一言コメントの構成でした。もしかしたらそのうちはてブでいい記事が出てくるかも知れません。時期が早すぎたんでしょう。
ただ、何となく、こういうニュースにはこういう感想を抱かなければならないというマニュアルみたいなものがある気がします。
ものが事件なだけに、表現に気をつけないと何てひどい奴だ攻撃を受けるといけないし、そんなの誰でも同じだ攻撃も避けたいとなると、他の人と同じようなことを書くのが無難です。あまりにも同じコメントが続くので、たまに違うのがあるとほっとします。
私がニュースコメント書いても検索トラバがつくことがあります。その内容が、私の考えと反対でも気になりません。私が書いたことに反論している訳ではないとわかるからです。むしろそこについたトラバをたどれて便利、くらいです。
自分がやったら相手にスパム扱いされるといけないのでやりません。私は批判されるのが恐ろしいので、自分がよいと思うかどうかよりも批判されそうかどうかで行動を選択します。これも批判されたりするのでしょうか。
「批判に負けずに自分の意見を貫くことができない人間はネットをやる資格はない」
とか。批判に負けずに、ということは批判を聞かなくてもいいということなんですから、だったら批判する必要ないのでは。批判に弱い人間をきたえてあげようということだとしたら、その人は何様でしょう。
自分がやったら相手にスパム扱いされるといけないのでやりません。私は批判されるのが恐ろしいので、自分がよいと思うかどうかよりも批判されそうかどうかで行動を選択します。これも批判されたりするのでしょうか。
「批判に負けずに自分の意見を貫くことができない人間はネットをやる資格はない」
とか。批判に負けずに、ということは批判を聞かなくてもいいということなんですから、だったら批判する必要ないのでは。批判に弱い人間をきたえてあげようということだとしたら、その人は何様でしょう。
ただの感想を批判(相手を正そうと)することに何の意味があるのか、それを当然の権利として許諾しなければならないのか、考えてしまいます。
7月17日の記事。日本ハムの新庄が議員立候補の打診を受け
「今のところその気はない」
と断ったそうですが、「今のところ」ということはいずれ政治家に転身する気もあるのでしょうか。
「全く興味がない」
ではないところが微妙です。