はてブ界から拾いました「閉鎖する前に考えて欲しいこと
」を読むと、閉鎖はそのブログの主の問題ではなく閲覧者の問題のようです。閉鎖した方は全てを消してスッキリでも、閲覧者は取り残されたような気分になる、私にも覚えがあります。
閉鎖した人はかなりの確率で、時間をおいて違うハンドル(同じでもいいが)でまた始めるらしいですが、閲覧者はそうは行きません。
閉鎖をネット上の自殺と例えることがありますが、それは消す側よりは閲覧者にとって、というのがぴったりきます。閲覧者からは、この世から消えたように見えるからです。逆に、縁起でもありませんが、リアルでブロガーが亡くなっても、ログが残っていればネット上では「生きて」います。
閉鎖した人はかなりの確率で、時間をおいて違うハンドル(同じでもいいが)でまた始めるらしいですが、閲覧者はそうは行きません。
閉鎖をネット上の自殺と例えることがありますが、それは消す側よりは閲覧者にとって、というのがぴったりきます。閲覧者からは、この世から消えたように見えるからです。逆に、縁起でもありませんが、リアルでブロガーが亡くなっても、ログが残っていればネット上では「生きて」います。
ログを削除せず、更新停止のままだと、閲覧者も
「いつかまた更新があるかも」
と待ち続けることができます。
もちろん、その通り、帰ってきてくれればうれしいです。しかし待つ間に別な興味や新しい友達を見つけ、残念ながらずっと更新のないブログのことは記憶から遠ざかっていきます。
懐かしくなったらまた見に行けばいいのです。あなたはまだそこにいる、昔の姿のまま。もしかしたら別なテーマで別なブログを始めて私の知らない人と交流しているかも知れないし、変わってしまった自分を見せたくないのかも知れません。
それならそれでいいのです。私の中ではずっとあの頃のまま、きれいな思い出です。私がそれを必要としなくなるまでは。
「いつかまた更新があるかも」
と待ち続けることができます。
もちろん、その通り、帰ってきてくれればうれしいです。しかし待つ間に別な興味や新しい友達を見つけ、残念ながらずっと更新のないブログのことは記憶から遠ざかっていきます。
懐かしくなったらまた見に行けばいいのです。あなたはまだそこにいる、昔の姿のまま。もしかしたら別なテーマで別なブログを始めて私の知らない人と交流しているかも知れないし、変わってしまった自分を見せたくないのかも知れません。
それならそれでいいのです。私の中ではずっとあの頃のまま、きれいな思い出です。私がそれを必要としなくなるまでは。
それまで普通に更新されていたのに、ある日突然サーバー上から消えてしまうと戸惑います。
「何かあったのかしら」「もしかしたら傷つけたかも」
たいていは予感させる出来事があります。苦いものが残ります。それも一時のことで、やがて遠くなります。リアル世界と同じ、人の世の無常です。
すると、閉鎖の時期はブログ主でなく、閲覧者が決めるのがよいのです。いつも、訪問者の数字には励まされています。きれいなお別れは最後のご恩返しです。
「何かあったのかしら」「もしかしたら傷つけたかも」
たいていは予感させる出来事があります。苦いものが残ります。それも一時のことで、やがて遠くなります。リアル世界と同じ、人の世の無常です。
すると、閉鎖の時期はブログ主でなく、閲覧者が決めるのがよいのです。いつも、訪問者の数字には励まされています。きれいなお別れは最後のご恩返しです。
もし、自分の意思で消したくなったとしても、更新を止めて、訪問者数が自然減になるのを待って、みんなが忘れた頃こっそり消すのがよいのかなと考えています。(更新をやめようとしている訳ではありません。妄想です)
隠したい記事は隠してもいいし、コメントを停止してもいい、しかし削除はしないことにして。お別れするその日はできるだけ少しずつ、時間をかけてひっそりと、迎えるのです。
隠したい記事は隠してもいいし、コメントを停止してもいい、しかし削除はしないことにして。お別れするその日はできるだけ少しずつ、時間をかけてひっそりと、迎えるのです。
7月15日の記事。リンクした先のサイトの方がこの記事(Yahoo版)をリンクして下さいました。