平塚5遺体事件のあまりのすごさに1日中テレビのニュースや2ちゃんねるを追っていると、気持ち悪くなります。ネットのやりすぎは身体によくありません。無理してでもどこかに出かけてさわやかな5月の風でも浴びないと、心身共にどす黒くなってしまいそうです。
 ゴールデンウィークで訪問者が少ないので、普段だと書きづらい(あらゆる説教妄想を喚起する)ネタを書いてみます。
 
 たまに本を書けばと言っていただくと、すぐその気になる私は妄想だけはしますが、このブログを自費出版以外の方法で本にするのは現実的ではありません。悪語満載過ぎます。
 こういう手の出版物は
「主人公がハンディを乗り越え成功した」
というストーリーにしなければなりません。有名な
「自閉症だったわたしへ」
も大学へ進学したり結婚したりするところで終わります。
 
 私は今のところ成功はしないと思いますが、こう書くと
「やる気がない」
と言われそうです。謙譲の美徳と受け取ってもらえないものでしょうか。逆にきっと成功すると書くと
「そんな甘いもんじゃない」
と言われそうです。どうすればいいのだ。
 ああ言えばこう、こう言えばそう、と相手の言葉を否定するのはそういう会話ルールになっているからであって深い意味はないみたいですが、何を言っても否定されるんだと思うとあまり自分の未来を語りたくありません。
 しかし未来の希望を語らないと
「気概が欲しいということです」
となりそうだし八方塞やん。
 
 要するに、全文善語の文を書いてみようと思うと、何かしら否定されるような説教が思い浮かんできてうまくいかないなあということです。
 世間では、否定する方が、本当に相手のためを思っている、ということになっているみたいですが、相手のためを思っている割には否定したことに対して責任取る気はないようです。肯定会話を
「ひとりごとの応酬」「キモイ」
と取る人もいるようです。私の言うことはひとりごとっぽいから本当かも知れません。ひとりごとの応酬がコミュニケーションを拒んでいるという意味なら、相手の言うことを否定するのがコミュニケーション?
 何を書いたところで、何を言ったところで、全ては否定されるんだいうことを受け入れないと厳しそうです。(これも否定されそう)
 
 
 5月6日の記事。短期引きこもりでげんなり気味です。
 これは絶対コメント拒否です。ハッピーな記事を書けば人の気持ちがわからない、アンハッピーな記事を書けば甘えだと言われる(被害妄想です)、いったいどうすれば誰にも文句を言われずに済むのでしょう。だからこのブログは批判禁止です。その人の意に沿うように変えたところでまた別な誰かに批判されるからです。