「バナナとリンゴとミカンとどれが一番好き?」
と聞かれて、どれも同じくらい好きだけど、それでは答にならないから、一生懸命に考えてミカンを選んだのに、他の人は
「全部好き」
と言って全部持っていってしまう、ずるいと泣いても
「ミカンがいいと言ったのあんたでしょ」
とどうにもならない、リンゴしかない時は
「リンゴ嫌いだったね」
と分けてもらえない。
と聞かれて、どれも同じくらい好きだけど、それでは答にならないから、一生懸命に考えてミカンを選んだのに、他の人は
「全部好き」
と言って全部持っていってしまう、ずるいと泣いても
「ミカンがいいと言ったのあんたでしょ」
とどうにもならない、リンゴしかない時は
「リンゴ嫌いだったね」
と分けてもらえない。
人に責任を押しつけられる時はこんな感じです。他の人はおいしいところを持っていって責任は取らないのに、私はミカンについては全責任を取らされ、ミカンに問題がある時は責められるのに、ミカンは他の人と均等に分配され、ミカン以外のおいしいものは分けてもらえません。
「あなたが決めたんでしょう」「自分で選んだことでしょう」
質問にはっきり答えるというのはかくも責任が重いのです。
「両方」「中間」
という答は私をイライラさせますが、責任取らされないためには仕方のないことです。
「あなたが決めたんでしょう」「自分で選んだことでしょう」
質問にはっきり答えるというのはかくも責任が重いのです。
「両方」「中間」
という答は私をイライラさせますが、責任取らされないためには仕方のないことです。
私は聞いたことにまっすぐ答えてもらえないととても腹が立つので自分が聞かれた時はちゃんと答えようと思うのですが、聞かれたことはできるだけあいまいにして相手に情報を与えず、相手からは情報を聞き出す、というのが、他人を支配する有効なテクニックのようです。
買い物での店員との会話が苦手なのも、先方はこちらの情報を得ようとたたみかけてくるのに、こちらが聞いたことにはなかなか結論を言わないからです。
「いくらくらいなんですか」
「ご予算はおいくらですか」
質問を投げ返すな。1円だと言ったら1円で売るのか。
「いくらくらいなんですか」
「ご予算はおいくらですか」
質問を投げ返すな。1円だと言ったら1円で売るのか。
現代の情報戦を制覇するには、私もあの会話術をマスターしないといかんのでしょう。聞かれたことには常にあいまいに答え、ればいいかというとそうでもなさそうです。それに、お互いにあいまい発言を繰り返していても話が進まないから、段々イライラしてきて、結局私が折れてしまうのだな。
5月1日の記事。大したネタではなかったのに書いてみたら結構面白かった(自分で言うな)です。
いかに自分が後で責任を取らなくて済むかということに重点を置いた話し方をする人は現実にいます。解析できる自分に感心しながら聞きます。そうでない人もいます。そうでない人の方が安心できます。