自閉症の人は文章を組み立てるのが上手でないという説と、そんなことはない、人それぞれだという説があります。
 よく言われるのは抽象語の理解が難しいということですが、抽象語というのは
「責任」「気概」「前向き」
のような、中身のないスカスカ語のことでしょうか。それなら理解が難しいです。
 
 善語文を書くには、このスカスカ語をきれいに使えることが不可欠です。
 
責任=かっこよくて偉いボク。
気概=戦うことではない、愛し合うことだったんだ。
前向き=黙ってこの悪徳商品を買え。もしくはうるさいからあっちへ行け。
 
 ・・・きれいに使えるでしょうか。抽象語を考える時は具体的な事例と結びつけようとしますが、いい思い出がなかなかありません。
 
 具体的な事例を題材にする方が、書く時は楽ですが、複雑なことを考える時は抽象語も必要です。抽象語を上手に使うと、文章が知性的に見えるような気がします。
 「抽象語」で検索して発見したサイト を見ますと、やはり私のような人間にはわかりにくそうです。辞書的な意味でしか言葉を理解していないのに、辞書によって違うのではお手上げです。
 
 私の発言は医療関係者が聞いても意欲に欠けるように聞こえるらしいので、善語に慣れないといけないのだろうなと思います。使いこなすにはまだまだですが、読んで嫌な気持ちにならない程度には鍛えないと。

 

 

 3月8日の記事。連作はこれで終了です。

「なぜ書けるのか」

を考えながら

「なぜ(違う文体で)書けないのか」

も考えました。

 私が「私の」文章を書く限り、書くことに不自由はないものの、善語文体に直そうとすると、ろくな言葉が紡げません。何も出てこない自分にイラつきもします。

 「精神の自由」「表現の自由」という言葉が浮かびますが、この言葉が私を救うとは限りません。説教だって表現の自由だと言われたら、私の言葉は封じられてしまいます。