日本の教育ではあまり文章の書き方の指導はしないようです。教師が個人的にしてくれるケースはあると思われますが、
「型にはめるのはよくない」
という理由で文章は自由に書くのが主流です。
マニュアル論
の時に激しく主張しましたが、私は
「型にはめないと個性は生まれない」
と考えています。自分自身がそうだというだけで他の人は違うのかも知れません。私は自然に常識を身につけるのが難しく、全てルールとして学ばなければならなかったからです。
型からはみ出すのが個性です。それを切り取るのはいかんですが、型にはめないと個性は見えません。
私はいまだに
「大学受験で点数の取れる小論文の書き方」
はわかりませんが、社会に出てから、ビジネス文書は容易に書けるようになりました。いくつかの型を覚えれば簡単でした。広告物に載せる文章も、難しくありませんでした。宣伝という目的がはっきりしていたからです。
どうも学校で書く文章が書きづらいのは、書く本当の目的と名目上の目的が違っているからのようです。
「思った通りを素直に書けばいい」
嘘です。
「論旨展開がしっかりしていれば賛成でも反対でもいい」
多分嘘です。
「無難に書けばいい」
これは本当かも知れませんが、無難の程度がわかりません。
学校の作文というのは、経験したこと、考えたこと、思ったことを書くのではなく、心身共に健全な子供であることを自己PRするために書くのだと知らないと、いくら型を整えても上手に書けません。
大学受験で小論文の添削を受けた時、当時(今も)意味のわからなかった一文が添えられました。
「大学受験ではあなたより年上の、経験豊富な大人が読むのです」
これは、生意気なことを書くな、という意味だったのでしょうか。
例えば映画のレビューのブログを作ろうと思ったら、好きな映画の宣伝をしたいのか、ネタばれが目的なのか、映画を題材にした自分語りをしたいのかによって用意する型が違ってきそうです。
このブログの目的は自分語りです。こんなタイトルですが、文章の書き方がどうのという気はありません。
3月7日の記事。文章は型を壊すことから始まる、なら型を教えてもらわないと壊せません。
「こうすれば正解という文章の書き方はない」
というとかっこいいですが、実際に上手な文章やそうでない文章というのは存在します。