過去2回は、考えを言葉で表現できないというのを文字通り解釈し、そういう人は言葉以外の手段で思考していると仮定しました。私自身には映像中心の思考が難しいので、なら逆の人も存在するはず、と考えました。
ちょっと考え直して、言語で思考しているが文章にできないという状況を、自分に置き換えてみます。私は自分と異質の人を推測できず、自分に置き換えることしかできません。あくまで自分のことなので、間違っている可能性はあります。
私にも考えを文章化できなくなった時期がありました。もちろん、説教族襲撃の時です。結構まじめに善語で文章を書こうとしました。しかしうまく書けません。名セリフ
「気概が欲しいということです」
も私が使うと何だか嫌みったらしいです。
絶対善語で書かなければならないとしたら、私も
「書きたいことが書けない」
状態になります。どう書けば説教されないのか、思考=言葉であるほど、言葉を置き換えると違う内容になった気がします。
ある特定の型の文章を書けない、考えが文章にならないもどかしさ、それはわかりますが、
「書きたいことが書けない」
というのはそういう意味ではなさそうです。文体を変えられない、ではなく最初から書けない、思考は言語であるにも関わらず。それは単純に上手に書けない、ということでしょうか。説教族襲撃を、
「笑われる」「幼稚だと思われる」
に置き換えるともう少し一般化できそうです。
うーん。映像思考型ゆえに文章化できない、に比べると感情移入できそうにありません。しばらく書いてから壁に当たるのではなく、最初から上手に書こうとして書けないなら、それは
「書けない人は書かなくてもいいし、書きたいならつたなくても書けばいいし」
ということです。寝言になってしまいました。
3月6日の記事。文体を変えるのって、簡単そうで難しいです。私も
「説教されない文章を書く方法」
という企画ブログがあったら読みに行ってしまいそうです。(実は自分がやろうとしていたりして)