文章がうまいと言われたのは社会人になってからでした。定型的なビジネス文書や指示書、広告制作物の原稿、最初はお世辞だったと思いますが、ほめられると自信がつきました。
 
 学生時代の読書感想文や作文、レポートは、平均的には書けましたが、うまいと言われたことはありません。実際、どう書くのが正しいかわかりませんでした。受験の時は
「小論文の書き方」
のような本をあさりましたが、上手にはなりませんでした。思いやりに欠ける記述で先生を怒らせてしまったことは、以前 にも書きました。
 雑誌に投稿すると時々採用されたので、学校向きの文章ではなかったようです。学校向きの文章とは、善語にあふれ、先生にほめられるような書き方です。けなしているのではなく、読む人の立場に立つという点で、とても重要なことです。
 
 私は考えたことが脳内でそのまま文章になるので、それを書くことに不自由はありません。(上手下手は別として)しかし
「あなたの考えを絵に書きなさい」
と言われたらかなり困ってしまいます。
 具体的な場面ではなく、抽象的な事柄もビジュアル的に思考する人がいるとしたら、その世界を言語に置き換えていくのは困難な作業に思えます。書いても、言いたいことの半分も表せていないとがっかりしていらっしゃるかも知れません。
 
 私は絵が下手です。技術的に下手というのはもちろんですが、脳内で画像を組み立てるのが苦手です。緑の草木が生い茂り、茶色の子馬が歩いている、遠くには山が見える、という具合に、映像を言語化する方が理解しやすいです。抽象概念映像思考型の人は(もし存在すればですが)、私を
「怠け者」「努力が足りない」
とののしるでしょうか。

 

 

 3月5日の記事。自分と逆の人を想像すると、映像を言葉に置き換えることで何かが変わってしまうもどかしさを感じます。私がこの文章を絵に描けと言われてもどうしていいかわからないように。いただいたコメントも面白かったので写します。

 

「普段の自分を振り返ってみると、無意識の行動の比率はとても多いような気がします。だから部屋の中で鍵をどこへ置いたかわからなくなってしまったり、何かをどこかにしまいこんでしまったりするのです。

自分のしたいことをしているときのことは言語化しているけど、ルーティンワークが無意識がちです。言語化にも段階があって、絵コンテみたいな絵本みたいなときと、挿絵のように画像がはまるときと、全部言葉で作文のようにしてるときとあるような感じがします」

 

「プログラムを考える時は全体構造がぼやっと浮かんできて、それが消えない間にキーボードで打ち込んだりします。この"ぼやっと浮かぶ"のは文字ではなく、かつ図でもない。。ので表現のしようがないです」

 

「抽象概念イメージ思考型も多そうですね(言語でも映像でもない)。以前アメブロのコメントで、突然リストラされたサラリーマンの立場をシュミレーションするという話があったでしょう。あれ、私も含めたいていの定型発達者も言語で思考して無いと思います。映像でもない、でも無意識でもない。しかし、尋ねられれば即言語化・映像化できるくらいのレベルまでは来ている・・・なんとなくの感触ですがね」

 

 私は無意識の比率が低い。映像の比率も低い。ゼロではないけれど。