子供というのは道徳よりも思いやりよりも先に、嘘をつくことと人になすりつけることを覚えますね。小学校の先生は子供を本来的に純粋で優しい、汚れない生き物だと思っています。そういう人が小学校教師という職業を選ぶのでしょうか。
 中学、高校の先生は暴力や恐喝の存在を知っているようですが、小学校の先生にかかるとほとんど子供同士の悪ふざけの範ちゅうに入る気がします。
 
 小学5、6年生になると、同級生によく恐喝されました。毎日理由をつけて金を持ってこいと言われましたが、私はどんなにぶたれても1度も持って行きませんでした。
「明日こそ持って来なさいよ。約束だよ。持って来なかったら取りに行かせるからね」
それでも持って行かなかったら、昼休みに家に取りに行かされました。
 家に帰って母にそう言うと、母は私と一緒に小学校に行って、担任に話しました。担任は恐喝した同級生たちを呼んで事情を聞きました。
「冗談で、ふざけて言っただけなのに、本気にするなんて思いませんでした」
彼らは一様に戸惑った顔でそう言いました。
「もし、本当にお金を持って来たらどうするつもりだったの」
先生は聞きました。
「受け取らないつもりでした」
即答した言葉に先生は神妙にうなずきました。
「chargeupさんはすぐ本気にする人だから、冗談でもそんなこと言わないようにしようね」
毎日しつこく、どつかれながら脅されたのに、持って来たら受け取ったに決まっているのに、そんなことをいくら言っても
「悪ふざけを本気にしただけ」「お友達をそんな風に決めつけてはだめ」
としか受け取ってもらえません。
 
 殴られた、ぶたれたと言っても
「chargeupさんだって私をぶったよ」
で終わりです。囲まれて集団で殴られたらそれは抵抗します。しかし私には抵抗することすら許されません。
「人にぶたれたからと言って人をぶってもいい訳ではないのよ」
と優しく諭されます。小学校の先生というのははなぜあんな嘘を簡単に信用するのでしょう。その後
「先生に言いつけるなんて、卑怯者」
「約束破った(金を持ってくるという一方的な約束のこと)くせに」
「○○ちゃんの気持ちにもなってみなさいよ」
とボコボコにされたのは言うまでもありません。ただお金を要求されることはなくなりました。
 
 小学校の卒業文集の表紙の裏に担任が一人ずつにメッセージを書いたのですが、私のもらった言葉。
「思いやりを持てる人になって欲しい。誰にでも、明るく、優しく、親切に接する、それができれば、いじめる人なんていなくなるんじゃないかな」
私に思いやりがないってこと? 
恐喝した子たち、毎日私をぶった子たちの方が思いやりがないに決まっているじゃない。
何かしてあげることが思いやりなの? 
まず人をぶたないとか強迫しないとか人の物を取らないとか、そういうことではないの? 
どうして? どうして? 私がどんな悪いことをしたの?
 
 自分の見ている世界と他人から見た世界が違う風景であることを知ったのは、20年以上後のことでした。

 

 

 1月21日の記事。小学校というのは治外法権です。大人の社会だったらいきなり人を殴るようなことは許されないのに、

「おはよう」

と共にバシ、ボカが当たり前の世界で、それを微笑ましいみたいに思われています。

 思いやりというのも、殴らないとかそういうことではなく、何かしてあげて

「私って思いやりがあるでしょう」

と示すことを意味するようです。少なくとも子供社会では。みんな小さいうちからいろんなこと考えているものです。

 人は5~6歳から空気読み始めるそうですが、価値観が多様化するほど空気読む能力が必要とされるとかで、コメント欄で話題になった記事 がありました。