かなり古い話なんですが、昨年、嫌いな給食を無理やり食べさせられてPTSDを発症した広汎性発達障碍の子の、損害賠償請求が認められました。
昔、そばアレルギーのある子に無理やり給食のそばを食べさせて死なせてしまった事件があるのに、この類の話も全然廃れません。
この話には説教族問題、言葉が通じない問題など興味深いテーマが含まれていますが、今回は偏食問題に絞って書いてみます。
子供の頃は
「好き嫌いなく何でも食べる」
ことがしつけの最重要課題として重視されています。
私には食べられないほどの偏食はありませんでしたが、それでも親戚のおばさんに出されたものに手をつけなくて
「食べなさい」
とどなられた時はものすごい恐怖でした。それ以来長く
「人に勧められたものは食べなければならない」
と思いこみ、
「ずうずうしい」「遠慮がない」「恥ずかしい」
と言われる羽目になりました。世間の、子供は何でも食べなければならないという観念には凄まじい執念を感じました。
偏食を矯正する目的は主として
1 成長に必要な栄養素を万遍なく摂取すること
2 教養の一環として、様々な種類の食物が存在することとその味を知ること
の2つが考えられます。
子供の頃読んだ本によると、例えば
「にんじんは嫌いだがほうれん草はOK」
「肉は食べられないが魚や乳製品は大丈夫」
のような好き嫌いであれば、栄養学的にはさほど問題がないそうです。
野菜が全く食べられないというのは問題ありそうですが、イチローの野菜嫌いが広まってからは、それも緩和されたようです。私は背を伸ばしたくて中学時代牛乳を1日1リットル飲みましたが全く伸びませんでした。
現代はサプリメントもありますし、重症の食物アレルギーを抱えるお子さん用の代替食品がありますから、偏食により成長が阻害される要因は少ない気がします。(代替方法があるかどうかを考えただけで、偏食を矯正すべきでないと言っている訳ではありません)
大人になると他人と食事をする場で食べ物の名称を知らずに恥をかいたり、どんな料理かわからず注文できないということがありますので、教養としては大いに重要です。作る立場になれば、献立の範囲も広がります。
これが決定的な要因かというと若干弱い気がします。子供の頃はおいしくなくても、大人になったら好きになった食べ物はたくさんあります。無理やり食べさせられて好きになったものなんてありません。先ほどの、おばさんにどなられた時の食べ物を見るとフラッシュバックして怖くなります。
そう考えると、偏食矯正の最大の目的は
3 わがままを抑える能力、人生は思いとおりにならないという経験、忍耐力を身につけること
ではないかと推測します。(偏見です)
それは悪いことではなく、必要なことだと思います。冒頭の子の場合、幼稚園の頃同じようなことがあって、教師も認識していたようです。しかし3の目的の方が勝ってしまったのでしょう。
「ここできちんとしつけないとこの子はだめになってしまう」
といういかにも説教族的正義感が充満しています。今日は説教族ネタのつもりではありませんでしたがどうしても説教族で終わります。
1月15日の記事。1月15日というとまだ反射的に成人の日か、深いな、などと考えてしまいます。
私は牛乳を1日1リットル飲んでも背が伸びなかったことを恨んでいるのですが、コメント欄によると、身長は食事より睡眠に関係があるのだそうです。私は寝ない子供だったから伸びなかったのです。がーん。
それが正しいとすると、スポーツをすると背が伸びるという説は多少根拠がありそうです。スポーツをして疲れれば夜眠れる可能性が高いからです。