大河ドラマの記事
の続きですが、その放送中、思わず声を出して
「気持ち悪ーい」
と叫んでしまったのが、子役が母親と別れる時
「母様と一緒でなければ行かない」
と泣き叫ぶシーンでした。おいおい、だから敵兵に見つかるんだよ。
子供というのは実際こういう場面になると泣き叫ぶのかも知れませんが、私はいかにも
「母親と別れる時子供はいやがって泣かなければならない」
と押しつけられた気分になります。私の気分の問題なので、そういう演出をしてはいけないと言いたい訳ではありません。
母親が娘を逃がすために死ぬシーンなんて、演出さえよければ感動的ないい場面のはずなので、個人的には泣き叫ばずに静かにやって欲しかったです。あの子役何歳の設定だったのでしょう。その後の行動を見る限り、そんなに幼少ではないようです。(史実では3歳くらい)
ドラマや漫画で見る親子情愛シーンはある定型に基づいていて、背筋が寒くなるような気持ち悪さがあります。何なんでしょう。
親子関係ひとつとっても、小説には様々な描き方が登場し、むしろ定型的な表現は駄作なのに、テレビだから制約があるんでしょうか。
友人や夫婦や恋人は色々なあり方が許されるのに、親子はひとつのあり方しか許されないような「定型」を見る時、私はある種の気持ち悪さを感じます。
例えば、臓器移植が必要な子供に自分の臓器を提供する親は絶賛されるけど、それができない親は極悪人と非難されそうです。特に母親は。
昔読んだ小説に、子供に自分の臓器を移植できるか検査を受けてだめだったことを知って内心ほっとする父親が出て来ました。善語では決して表現できない心の闇、エゴ、罪の意識、抱えて行く重み、決して偽物ではない愛情、自分自身の闇に向き合いながら、様々なことを考えました。
善語だけで書いた小説は表面的でつまらなそうです。説教族のクレームを防ぐにはよさそうですが。
1月12日の記事。ドラマはちょっと型から外れた方がリアル。