ブログ論を読むのは好きです。人によっていろいろな考えがありますが、どれを読んでもなるほどと思うし、自分の考えと違っていても面白いです。
「ネットに公開する以上、批判を受ける覚悟はするべきである」
というのは、私には
「外を歩く以上、通り魔に刺されることを覚悟するべきである」
に等しく見えるのですが、前者の主張が間違っているとは思わないし、参考になって、楽しいです。
こういう記事を書くブロガーはとても頭のいい人たちで、だからこそ記事は面白いのですが、
「自分の考え方は立派で正しくて成熟しており、そうでない考え方は劣っていて無知で未熟である」
という意識がチラチラ出てくると、ひっかかります。
批判受け入れ問題については、このブログは批判禁止です。理由は、怖くて記事が書けなくなるからです。批判OKのブロガーでも、批判の度合いが一定を超えると、閉鎖したりコメント拒否にしたりします。
ということは、誰でも程度の差こそあれ批判はいやなのではないでしょうか。(例外的な趣味の人もいると思いますが)
「ここまでなら耐えられるライン」
は人によって違う(私はとっても低い)ので、批判OKブロガーでも身体が受けつけないレベルの批判になると、
「こういう批判はいいが、こういう批判はルール違反だ」
と新たなブログマナー(複雑怪奇、人によって違う)構築に走り、収拾がつかなくなりそうです。
私にとっても有効な批判というか、異論はあり、それをシャットアウトするのは惜しかったのですが、ルールが複雑怪奇になると混乱するので、一律批判禁止です。自分の考えが必ず正しいと思っている訳ではありません。念のため。
未熟とされる文化の方が、実は進化しているのかも知れません。ある仮説を検証するうちに、紆余曲折の結果、元の仮説に戻ることもあります。批判肯定派は批判嫌悪派を未熟と考えるようですが、もしかしたら、
「戦うことではない、愛し合うことだったんだ」(by宇宙戦艦ヤマト)
と先に気づいた人たちかも知れません。ヤマトも、あの状況でデスラーと愛し合うのは無理だったと思いますが、愛し合おうという気概が欲しいということです。(by幻聴様)
「刺されるのが嫌ならネットに参加するな」
から
「誰もが気軽にネットライフを楽しめる」
に進化するかも知れません。逆かも知れません。どう転んだとしても、文化の違いはただ違いであって、優劣はありません。
12月16日の記事。わたりとりさんの「イヤな奴とはこんな奴 」にトラックバックしました。ブログ文化論大ブームのきっかけは、Yahooで起こったちょっとした事件でした。
コメントマナー、トラックバックマナーなど、所属のブログサービス会社によっても個人の考え方によっても異なります。マナーを振りかざして異文化のブログに
「あなたの考えは間違っています。ネット上における○○は」
と乗りこむ人々。他社のブログに自社のローカル・ルールを持ちこみ、
「これが正しい。おまえは未熟だ」
と押しつけるブロガー。
間違っている訳ではありません。間違っている訳ではないけど、自分が正しいからと言って意見の違う人は間違っているとは限りません。強要したら、それは「説教族」です。
まだネット上のルールは確立されていません。ブログというツールを得て一気に大衆化したネット界はどこへ向かうのでしょう。
なお、この記事の一番の売りは、気概が欲しいと書くだけで、古代進とデスラーに何かあったように見えることです。