私はマニュアル人間です。身のまわりのことはできるだけマニュアル化します。
「こういう時はこう」
パターンは無限にあります。
マニュアル人間がバカにされることは知っていましたが、そういう人に限ってオリジナリティも創造力もないように思えました。
分類もダメ、決めつけはダメなどと、だって決めつけないとその先に進めないではありませんか。科学実験だって仮説から入ります。仮説が正解でなければ修正すればよいし、物事には必ず例外があるのに、そんなグラグラの意識で何ができるのでしょう。
原則があるから例外があります。常識があってこその非常識です。自民党があるからぶっ壊せるのです。
私がどんなにマニュアル好きでも、私に個性がないという人はリアルにもいませんでした。だから私は
「マニュアルがあってこそ工夫が生まれ、原則があるから創造性が発揮できる」
という持論を展開しておりました。周りも
「そうかも知れないね」
と言って(あきれて)くれました。
「平均的な」人間など1人も存在しないし、どんなにマニュアル通りでも個性は必ずにじみ出てきます。
どんな創造も先人の真似、あるいは現在の不便から出発するもの、マニュアルを軸にして工夫を加えることが創造であり、個性であると信じていました。マニュアルが間違いではないかと考えることすら、マニュアルなしではできません。
私はマニュアルを否定する人に反対しているのではなく、感心しているのです。多くの人が、私の「マニュアル」に代わる軸を、言語を介さずに自然に内部に持っていることに、驚嘆を禁じえません。
「なぜ人を殺してはいけないのか」
と質問した子供がいる、というのがニュースになったことがあります。これを常識に捕らわれない行動と前向きに受け取ることができるでしょうか。質問したことそれ自体が、危険人物であるかのように1人歩きしてしまいます。質問は、真理を追究するためでなく、自分はこんなに勉強熱心で立派な人間であるとPRするためにするものです。こんなことはどこにも書いてありませんが。
「普通はどうするのか」「何をしてはいけないのか」
という常識やルールは社会を維持するのに必要なものです。それを文章化したものを熱心に読む人間を否定できる人は、最初からそれを内部にしっかりと持っているようです。熱心に読む私よりも読まない人の方が、世間の常識やルールに精通しているからです。
私が否定されるとすぐグラグラするのは、他の人の中にあるような軸がない、もしくはヘロヘロに弱い、ということなのでしょうか。
「マニュアルはよくない」
という意見を見ますと、私が意味するマニュアルにあたるものを、ほとんどの方が最初からお持ちであるように見えるのです。
12月3日の記事。海風さんが「軸の再構築 」をトラックバックして下さいました。マニュアルは悪語のようです。なぜバカにされるのかわかりませんでした。「彼ら」は本当に軸を持っているのか、彼らの軸の正体は何なのか。後で別な記事のコメント欄で話題になったのですが、どうも私のイメージする「マニュアル」という言葉の意味が微妙に違っていたようです。