正常な人は、どの分野においても同程度の能力を持っており、分野ごとに一定以上の能力差があるのは異常である、という話は信じがたいものでした。
「誰でも得意なことと苦手なことがある」
というのはごく常識的に語られているではありませんか。これも、私の言葉と他の人の言葉では意味が違っていたようです。
漫画でよく登場する
「勉強はできるが運動はまるでダメなガリ勉君」
や
「勉強はできないが、とある分野で天才的な才能を発揮する主人公」
は、現実にはいそうでなかなかいません。
正常な人は、分野ごとの能力に大きな差はない。
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個人の内部の能力差は、環境や好き嫌いや、指導者に恵まれたかどうかなど、後天的な要素で決まる。
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苦手なことでも、努力すればその人が普通にできることくらいのレベルには引き上げることができる。
という図式になっているのでしょうか。
昔、大学入試で一芸入試というのが流行しました。(今もあると思いますが)その時、大学の学長だか入試担当者が、
「何かでトップクラスになれる人間は、他のどんなことをやっても一流になれる素質を持っている」
みたいなことを言っていてまさかと思いました。そこには
「1人の人間の能力は、その内部においてはどの分野でも大きな差はない」
という大前提がありそうです。
天才と呼ばれる人々には、レオナルド・ダ・ビンチみたいなオールマイティな天才もいますが、たいていは分野限定です。天才とナニカは紙一重です。ひとつの分野が天才で他が人並みというのも一種の「異常」なのでしょう。せめて天才に生まれたかったものです。
11月8日の記事。定型発達者の嘘のメカニズムのひとつには、同じ言葉でも度合いが全然違っている、というのもありそうです。