元Yahooブロガー、よーし様の現ブログの記事 があまりにも私の現在の心境を表していたので、こちらもぜひお読み下さい。
  
 リハビリのため毒吐きを少々。他人のブログでとうとうと説教する人たちの心理というのは何なのでしょう。受け入れないと
「そのことに気づかないとあなたはだめな人間になる」
ネットの書きこみに従わなかったらだめ人間になるとはすごい論拠です。ネットの書きこみをいちいち信じて右往左往する人が立派な人間なんですか。そちらの方が危なそうなんですが。人には好かれるのだろうけれど、リフォームいっぱいされそうです。
 
 説教する人たちの、飛躍しすぎているのになぜか逃げ場のない論理に、昔、とある自己啓発プログラムに私を勧誘しようとした友人を思い出しました。言っていることがそっくりです。
「変わりたいと口では言うけれど変わろうという努力を全然していない」
「あなたのことを思ってあえて厳しいことを言う人間の言葉には耳を傾けないと、誰も言ってくれなくなるよ」
「本当の友達なんかいないでしょ」
「あなたが友達だと思っていても向こうは思っていないかも知れないよ」
否定する材料はありません。私でなくてもギクリとするものはあるでしょう。だから気を抜くと相手の営業トークに飲みこまれます。要するにその自己啓発プログラムをやらないとだめな人間になるということなのですが。
 その友人は自己啓発プログラムの会社の社員ではなく、受講生です。知り合いを連れて来ることがプログラムの課題のひとつだったようですが、自分の利益のためでなくあなたのことを本当に思っているから勧めるのだと言い張ります。あなたのためを思ってと主張する人の前でどんな反証ができるのでしょう。全て
「人の気持ちがわからない→だめ人間になる」
と話の流れは決まっています。
 
 もちろん断わりましたが私は何だか不快感を感じ(それは言葉のひとつひとつには逆らえない勢いがあったからです)他の友達に言いまくって
「それおかしい。宗教みたい」
と賛成してもらって安心しました。これで安心するところは、彼らから見ると愚かなのでしょう。
 その友人は他の友人にも全て断わられ、勤め先も辞めて音信不通です。私と違って立派な人間になっていることでしょう。

 

 

 8月21日の記事。復活記念というべきでしょうか。「説教族」という用語もこの辺りから生まれた気がします。

 人に指導する立場、職業の人というのはいます。親、先生、上司、医師、裁判官、警察官などなど。こういう立場での対象者でもないのに、人を捕まえては説教する人というのは、自分を偉いと思っているのでしょうか。

「誰も言ってくれなくなるよ」

という言葉には漠然と不安にさせられるのですが、そういうことは絶対ありません。世の中には人にものを教えてあげたい人が掃いて捨てるほどいます。というかこんなことを言う人にものを教わりたくありません。自分がいかに立派な人間かを自慢したいだけです。

「善意でも、人に説教ばかりしていると誰にも話を聞いてもらえなくなるよ」

と説教してあげましょう。(返り討ちに合いそう)