会社のような常識的な行動を求められる場での判断力はイマイチなので、大勢の人がやっていることを真似するのが一番です。そこに立ちはだかるのが自閉のこだわり。合わせておけばいいのにどうしてもできないこともあります。
昔いた職場で、署名協力の回覧がまわりました。ある凶悪事件を起こした犯人を死刑にして欲しいという嘆願書でした。
みんな署名しています。しかし私にはできませんでした。いくら凶悪犯でも、他人の死を願う理由が私にはありません。被害者の遺族がそう願うのは自然だし、私は死刑反対論者ではありませんが、死んで欲しいほどの個人的な恨みを持てません。人の立場に立てないせいでしょうか。
他の人がみんな署名していることに驚きました。本当に全員がそんな考えを持っているのでしょうか。赤の他人の死を望めるのですか。それとも遺族を思いやる気持ちが私にないのでしょうか。
署名は大変責任ある行為だから簡単にはしないようにと両親にしつけられました。死刑の嘆願書は、とても簡単に署名できる内容とは思えなかったので、私はしませんでした。
私だけ署名しなかったのは明らかですから、見た人はどう思ったでしょう。こういうことを他の人に言うと
「それはいいんじゃないの、気にしなくても、自分の考えで」
と言われます。正論を言うのは簡単ですが、雰囲気には正論を超えるものがあります。全員が署名したということは、私には読めない雰囲気があったのでしょう。
こういう所があらゆる面で悪影響を及ぼします。私の署名ひとつがあったかなかったかで刑罰に影響はないのですから、合わせておくのが平和です。自分の考えに執着しすぎです。わが道を行くなら別な覚悟が必要です。定型発達者には考えられないくらい、クビになったり責任押しつけられたりしますから。覚悟もないくせに、個人の意見は自由だなどと正論吐いていては世間に放り出されてしまいます。
6月5日の記事。この署名事件のあった当時は診断前だったので、私は自分の選択に自信を持っていました。診断後はあらゆる認知、判断に自信がなく、特に1人で意志を貫いた時などは、自分が間違っていたのではないかという恐怖と共に思い出すようになりました。どの場面にも、私には読めない何かがあるのでしょうから。
この署名は会社ではなく、従業員個人が回覧をまわしたものです。