相変わらず時期がずれまくっているのですが、4月1日より発達障害支援法が施行されました。めでたいことですが、主たる目的は早期発見、早期療育で、すすんでいる支援政策も子供中心、法律の条文に大人は対象外とは書いていませんが、具体的なことは白紙です。
今の子供達を(この表現ばばくさいぞ)うらやましいとする成人発達障害者の意見もあります。ええうらやましいですとも。ここには発達障害児の親御さんも見に来て下さっているので申し訳ないのですが、大人になって診断名がついた発達障害者で、幼少時の親との関係が良好だった人はまれです。私達の親世代は、
「自閉症は親のしつけの問題」
というとんでもない解釈をしていた世代に近いのです。
時々ブログでも
「公共の場で騒ぐ子供、注意しない親、今時の親はどうなっているんだ、日本の将来が嘆かわしい」
という論調の記事を見かけてギクリとさせられます。その記事にコメントすることはためらいます。その子が発達障害児か私にはわかりません。本当にしつけが悪いのかも知れません。
私の親もその視線に苦しんだことでしょう。障害などと想像もできない時代、虐待寸前まで努力しても思い通りにならない子を
「かわいくない」
と思っても責められません。
診断済でも私のように親には話していない人や、話してもよくわかってもらえない人が多いようです。
発達障害児への対策が行われることで、周囲の健常児やその親にも発達障害についての理解が深まり、将来発達障害者にとって生きやすい世の中にだんだん変わっていくことを祈ります。私はその頃には老衰で死んでいるわけですが。
「関係者」は大人の発達障害者の証言を子供の福祉に役立てようとしているようです。日本の将来を担うかわいい子供達のために協力を惜しむものではありませんが、少しは大人にも役立てて欲しいものです。
5月5日の記事。いかにも批判受けそうでビクビクですが、ASのお子さんのお母様に貴重なコメントをいただきました。
「子どもと行った病院の医師は『大人に成長してしまった人には、私たちは何もしてあげられない』と言っていました。子どもであればできて、大人ではできないのでしょうか?」
これは私をすっきりと元気づけてくれました。(変ですか?)素晴らしい言葉だと思いませんか。
「できないと言っているからできないんだ」
よりもずっとずっと深い思いやり、生きる希望をくれます。こういう時、定型発達者とのリアル会話だと善語でごまかされがちです。
「そんなことないから、大丈夫、がんばって」
善語嫌い。
「事実を伝えるために言葉を用いていない」
から仕方ありません。そのことに気づいたのは大きな前進ですが、事実が知りたい時はどうしているんでしょう。
こう書くと
「確認すればいい」
と言われそうですが、確認しすぎるとしつこいと怒られるし、確認が足りないとまた微妙なことになります。どちらかというとしつこくて怒られることが多いです。怒られないまでも怖がられます。
すみません、またコメント拒否。