大学卒業の時のエピソード。シーズンオフですね。ずれているのはいつものことです。
卒業式の後、別日で二次会が開催されることになりました。どんな恰好で行けばいいのでしょうか。テレビで見るような独特の羽織袴か、パーティドレスか。普段はみんなジーパンという田舎のダサい大学です。卒業謝恩パーティなどという大層なものではなく、学生主催です。
「普通でいいんでないの」
普通ってジーパンのことじゃないよね。
「テレビで見るようなドレス? あんなの着ないよ」
ああいうドレスはあの服の人ばかりの場所でないと確実に浮きます。
「普段着よりちょっとおしゃれしていくくらいでいいと思うよ。私だってそのために新しい服買ったりしないよ」
うん、その辺が妥当よね。何人かに聞きましたがパーティドレスを新調するという人はいませんでした。
親に
「卒業パーティ用に服買わないの」
と聞かれましたが、
「うちの大学みんなそんなの着ないからいい」
と断わりました。
当日、自分としては普段着の上くらいのカシミアのセーターとスカートといういでだちで会場に向かいました。そしてすぐに、自分の間違いに気づきました。
そこにいた同窓生たちの姿は目もくらむ華やかなパーティドレスの集団。美容院でまとめたきれいな髪形、大学では見たこともない化粧、話と違うじゃんよ。
「あんた別な意味で目立っているよ」
日頃男性に間違えられる友人までカクテルドレスで近づいてきます。
「みんなパーティドレスなんか買わない、普段着だって言っていたのに」
「こんな機会でもないと着ないしねー」
誰も嘘をついたわけでも私に恥をかかせようという意図があったわけでもなく、一種の社交術が私には全く通じない外国語として立ちはだかります。
将来社会に巣立つ私の兄弟たちへ。仕事関係で出会う人を信じてはいけません。それが社会の常識です。その人個人がどんなに正直で優しい人であっても、嘘をついている自覚はなくても、彼らの「言葉」の上に真実はないのです。
そのことに気づかず、私を思いやって下さった多くの方を嘘つき呼ばわりし、人間不信に傷ついてきました。彼らが言葉以外の手段で伝えようとしてくれても、私には全くわからなかったのです。
まだそんなことに全然気づいていない私の、波乱の社会人生活を象徴する卒業パーティでした。
4月6日の記事。根本的に考えを改めなければなりません。言語は事実を伝える手段として用いられているのではありません。では何のために用いられているのか、裏読みの仕方を覚えて得た仮説は、「自己PR語」です。
この話でいえば、
「私はドレスなんか着ない」
と言っていた人は
「私はおしゃれに無頓着なのよ」
と言いたかっただけなのです。
「嘘をついたつもりはない」
という優しい人たち。
単独で記事にするにはあまりにも表現がはばかられるので、こうして過去記事につけることで自己PR語の正体を探っていこうと思います。