久々に、内面世界の話。

 アスペルガ-症候群のコミュニケーションの特色として言われる
「婉曲な表現がわからない」「言葉を文字通りに解釈する」
は私にも根強くあります。
 対策として、「遠まわしな表現を別な言葉に置き換える」技能が必要になります。こんな面倒なことを多くの人が普通にやっているのが信じられません。やはり私は超能力者の星に置き去りにされた異星人なのでしょうか。

 外食の時はできればお店の人とあまり会話をしたくありません。お店の人とのやり取りは日々ストレスとの戦いです。カウンターのお店の牛丼やカレーが一番ですが、もう少しおいしいものを食べたい時もあります。
 なぜ、私の
「どれくらいかかりますか」
という質問の答が
「どれくらいお待ちいただけますか」
なのでしょうか。
「用事があるわけではなくて聞いているだけです」
5分という答を何とかして引き出してもその答はたいてい嘘で、その倍以上はかかります。なぜすぐわかる嘘をつくのでしょう。15分と言ったら私が腹を立てると感じるのでしょうか。
 作るのに30分はかかる料理を1分で出せるわけないでしょう。なのになぜ
「どれくらいお待ちいただけますか」
と聞く必要があるのか、しかも嘘をつくのかさっぱりわかりません。
「当店ではお客様が注文されてから料理を始めますので」
というのはもっと理解不能です。時間がかかるから悪いなんて一言も言っていないのに。

 1+1=2ではなく、1+1=ドラえもん になることに、異次元に放りこまれたように混乱します。私はよく会話がかみ合わないと言われますが、彼らこそなぜあんなかみ合わない会話で意思疎通が成り立っているのか不思議でした。
 人の質問に質問で投げ返してはいけない、と何かで教わったのですが、その時私は別な次元にいたのでしょうか。
 自分がそうして欲しいので、私が逆に質問を受けた時は投げ返さずストレートに答えるのですが、どうも一般的にはいけないことのようです。他の人と同じような会話をしなくては、と思っても、自分が言われていやなことはなかなか人に言えません。

 これは健常者が自分と違う世界で生きていると知った今も、合わせなくてはいけないとわかっていても、とてもストレスがたまります。
 日常生活を全て綿密なシナリオで動かしている私には、たとえ用事がなくても、どれくらい時間がかかるのかはとても関心があります。それによってその後のいろいろな行動予定が変わるからです。

 

 

 3月19日の記事。これは当時のコメントでも理解が難しい印象でした。それ以前は、なぜ

「私が質問したことにその答ではない言葉が返ってくる」

「相手が質問したことに私が答えると気を悪くさせたり怒られたりする」

のかわからず、困惑しまくっていました。しかも自分ではなく相手に原因があると思っていました。

 定型発達者はこういう不思議な会話をするのだ、理解できないのは自分に非がある、とわかった今も、会話がこういう展開になると、とてもイライラします。こればかりは我慢するしかありません。

 先日も

「○○と△△、いくらくらい値段に違いがあるのですか」

「大して変わりませんよ」

という会話があり、それ以上聞くのを我慢したのですが、大して変わらないってどれくらいだ、と今日もイライラ。