今日のタイトルは、今読んでいる『自閉症だったわたしへⅡ』の原題 ”SOMEBODY SOMEWHERE”の直訳です。
この本のⅠを読んだ時は「私はこんなにひどくない」という気持ちが強かったのですが、Ⅱは自分の世界観にストレートに入り込んできました。読み進むのが苦しいです。
Ⅰは著者のドナ・ウィリアムズが大学を卒業するまでの話です。家庭環境に恵まれず、そこから抜け出して大学へ行くまでが悲惨です。私がこの時代の彼女を自分と違うと感じたのは家庭環境面が大きかったかも知れません。私は恵まれていました。
Ⅱは大学卒業後教職課程で勉強を続け、オーストラリアからイギリスに移り住むまでを描いています。自閉症だと打ち明けて突然態度を変えられたり、友達に嫌われたりしながら定型発達者の感情のシステムを懸命に理解しようとする様子が涙を誘います。
ドナの周りのドナを理解する人たちが、とても辛抱強くそれを教えています。彼らは私にも教えてくれます。人の感情の種類、意味、他から自分はどう見えるか。
とても不思議です。何の報酬もなく、面倒くさい、忍耐力のいることなのに、他人にこれほど思いやりを持って接することができるなんて。
ドナは私のように隠そうとせず、知り合った人に自閉症であると打ち明けます。それで態度を急変させる人もいれば素晴らしい理解者になる人もいます。そして、彼女を救い導くのは理解者だけです。何も知らずに思いやることは難しいのです。
私は周囲の誰にも話さないので、このことが理解者を遠ざけてもいます。「どこかにいる誰か」にめぐり会えずにいます。
このブログで初めてこの障害を知った人のコメントもいくつかいただくことができました。こうして理解者が増えていけば、いつかどこかでカミングアウトできるかも知れません。
3月6日の記事。今度から原文で「健常者」になっている部分は「定型発達者」と直します。この頃自閉でない人たちを何と呼んでいいかわからなくて健常者と呼んでいたのですが、あまりいい表現ではありませんね。
当時よりも今の方が後退した部分。自閉症であると打ち明けたとしても、努力が足りないと言われてしまうのは変わらないということです。この頃は、障碍であることを説明すれば理解してもらえるか、最初から偏見もって近寄らないかどちらか、だと思っていました。書くことによって理解が深まることもあれば誤解が深まることもあります。
この記事に、他社のブログから初トラックバックがつきました。みかんさんの 「陽だまりのねごと」
でした。