エーカン、履歴書に続く下手字シリーズ。アスペルガー症候群の専門書はいろいろ立ち読みしましたが(買えよ)文字が上手に書けないメカニズムについての説明はあまり見たことがありません。
 偉そうなことを書いていますが、私がアスペルガー症候群という言葉を知ってまだ1ヶ月経っていないのです。学術的なことは、アスペルガー症候群のお子様のお母様や、興味を持って調べていらっしゃる人の方がずっと詳しいはずです。
 だから、コメントから初めて疑問を持って調べ直して、自分特有ではなくアスペルガーや自閉症の特色であることに気づくことがあります。文字に関してここでは、自分がこうだ、ということを書きますが、これが自分特有のものかどうかはわかりません。何気ないコメントで結構ですのでお待ちしています。

 履歴書の話で

「文字の大きさや字間がそろわない」

と書きましたが、小さい頃から文字の大きさの調整がものすごく難しいです。学生の頃はそろえることができましたが、ノートの罫線に合わせて練習しているので、その大きさでしか書けません。「もっと大きく書いて」と言われても少しだけ大きくするということができず、文字が崩れ、たちまち大きさはそろわなくなります。パソコンやメールのある時代ですから決定的に困ることはありませんが、日本人は文字から誠実さや忍耐力、真摯な心を感じ取ります。下手字は人格まで疑われて損です。
 頭で考えているように体が動かない感じです。水泳でクロールを泳ぐ時、私の脳内では華麗に動いているのに、他の人が見るともがいているだけに見えます。自分の耳には平坦な話し方が聞こえているのに、実際には妙なアクセントが入ります。それも、頭で考えている動きと実際の動きが違うことが原因のように思えます。これは不器用全般につながります。

 私が障害を知って最初にしたことは、健常者(自閉症でない、という意味で)の見ている世界が自分の見ている世界と似ているけれど違うのだと理解する、ということでした。文字を書くことひとつ取っても私はわずかな努力もしようとしない、人のいうことを聞かない人間と取られます。できないことそのものよりも周囲の目が私たち(ここはあえて私たちと言って差し支えないと思います)の障害です。
 だからここをたまたま読んだ人が、ふーん、そんな人もいるんだ、と心に引っかけていてくれることを期待します。
「できないんです」
「こうすればいいじゃない。何でやろうとしないの」
不毛な会話が少しでも減りますように。

 もちろん私も健常者を理解しなければなりません。お互いに同じだと思っていたから、30数年平行線だったのです。このブログを読んで私をある程度理解して下さっている方のコメントはちょっとしたものでもすごく参考になります。

 

 

 3月1日の記事。少々いらだちが感じられるのは、後々の展開を知っているからでしょうか。成人してからでも随分経つので、

「努力すればできること」「どんなに努力してもできないこと」

はだいたいわかります。自分が努力すれば100メートルを10秒で走れる人間なのかどうか、普通わかりますよね。

 できないとわかっていることに時間と精神を費やすのは大変に無駄なことで、どうカバーするかを考えた方が早いと思うのですが、こういうことを書く時、「超えられない壁」を感じます。

 できないと思いこんでいるからできないのだ。努力する気がない。甘えている。この考え方は、私が想像する以上に根強いものです。

 だからといって、定型発達者が際限なく努力することを奨励している訳でもありません。東大や司法試験を目指して十浪している人には

「いい加減あきらめたら」

という気持ちを持つようです。しかし

「自分には司法試験は無理だ」

という人間には

「やってみないとわからないよ」

と言う、ような気がします。

 言語体系の違いに起因するのだろうとは推測できますが、その思考のメカニズムはどこから来ているのでしょう。他人が死に物狂いで努力して、それでも失敗し、絶望するのを見るのが大好きなのでしょうか。

 早めにあきらめるのはだめなこと。できないことにただただ時間と精神力を費やすのがよいこと。そこには絶望しかなくても。二次障碍まっしぐらでも。

 多分私の考え方の方がおかしいのですが、そのメカニズムを解明しない限り、私は努力が足りないという言葉にずっと傷ついていくことになります。