闘病が始まってから旅立つまで

🌻は親友、職場やその他色んな人達に支えられ応援していただきそして各々の人達と沢山の良い想い出を作って旅立ちました。


そして母親としては当然のことですがその🌻を私が一番近くで見てきました。



🌻も私も強がりお互いに弱みは見せなかったけど


沢山悩み、怒り、泣き、悲しみ、


そして笑い、喜び



一生分の喜怒哀楽を経験したように思います。

🌻に支えてくれた人達がいたように私にも支えてくれる人達がいました。



私は三人姉妹の次女ですが🌻の闘病をいつも心配しその闘病を支える私をもっと心配し支えてくれたのが私の姉と妹でした。


この闘病記では登場人物が増えると

ただでさえ起承転結に纏めきれていない記事がもっとややこしくなるのでなるべく私達家族に絞って書いてきたから


誰にも頼らず私一人で頑張ってきたように見えてしまうけれど実はそこには陰日向となり助けてくれた姉妹がいました。


緩和病棟に移ってからは妹は仕事を長期で休み私が心配なく🌻に専念して子供達と過ごせるようにと母のことをはじめ色んなことで動いてくれました。


姉はいつも私を心配し他には吐き出せない苦しいこと悲しい胸のうちを一緒に泣きながら聞いてくれました。


この二人が相談しながら私の為に一生懸命動き🌻の無事を祈り私を励まし続けてくれたのです。


姉妹三人とも還暦も過ぎて各々色んな辛い経験も乗り越えてきている歳だからこそ響くものがあり心に染みるものがあり

ます。



外のことは姉妹が、内のことは緩和病棟の方々が支えてくれるという恵まれた環境の中で安心して4人の大切な時間を過ごすことが出来ました。




そして孫を先に見送ることになった私の母ですが相当ショックを受けながらも私のことを心配してくれました。


🌻が旅立った後、母は施設に入ることになったのですが今の状況を良く理解していて自分が家にいると私に迷惑がかかるから心配しなくていいと言ってくれます。


🌻がいる頃は施設に泊まることも嫌がっていたのに…



今では慣れてくれたのか帰りたがることもなくなり,むしろ私やひ孫達の心配をしてくれています。


今85歳で認知症もありますが年老いても娘達の心配をし孫、曾孫達を気に掛けてくれる優しい母親なんです。







一人では心身共に限界があります。


人は一人では生きていけないと言うけれどその通りだと思いました。


私も支えてくれた人達がいたから最期まで🌻を看れたと思います。

最後の大切な時間を家族でしっかり過ごせたのは沢山の人の思いの上に成り立ったことだとつくづく思うのです。



🌻が家族に支えられたように
私にも私を支えてくれるもうひとつの家族があったという感謝のお話でした。