時間が経つと、思いや考えは変わってしまう。
つまり、熱量が下がるというということだ。
新しいアイデアが出た時は、すぐに行動に移さなければその時に思いついたアーティスティックな群を抜いた素晴らしいアイデアでも枯れてしまう。
新鮮度の高いアイデアこそ、世の中に出すべきアイデアなのだと思う。
アイデアが出ない、ということは無に等しい。
人間の五感を存分に使う。
生活の中で何を感じるか、何に触れるか。
見るもの触れるものそこらじゅう全てのものにアイデアが潜んでいる。
なぜかというと、今身の回りにあるもの全てが、人のアイデアによって生み出されたものだからだ。
ティッシュ箱だって、一枚とると次の一枚が出てくる。
ハサミだって、指で両側から力を加え刃が重なって閉じていくことによって紙などが切れる。
先代が使いやすさを究極まで考え抜いた結果が身の回りに無数にある。
アイデアの賞味期限はおそらく3日程度だろう。
3日考え抜いても出ないアイデアはやがて熱量が下がり人間の汚れた部分や嫌らしい部分が出てくる。
アイデアが出たらばすぐに行動し具体的な形にしていかなければ、本当に必要とされているものは生まれない。
帽子やメガネは、昔からあまり形を変えていない。
よっぽど元のアイデアの新鮮度が高く必要とされていたからだろう。
人間の汚らわしい部分など微塵も感じない。
素晴らしい作品だと思う。
しかし、身の回りにある便利なものに固執し何も感じなくなってしまった時、その時は既に人間が人間である意味がなくなり、やがて人間が生み出したロボットやAIに居場所を奪われるだろう。
情報社会で手で触れられないところに大量の情報があり、”モノ”として残されていないためやがて映像社会になり、映像で自分の姿、形、思考を残す人ばかりになってしまえば尚、新たな”モノ”は生まれなくなり、未来に残るのは映像だけになる。”モノ”ではなく映像という目でしか感じられないものに全てがなってしまえば人間の消滅へと追い討ちをかけるだろう。人間の生きた証は、果たして映像の中だけなのだろうか。ロボットやAIに必要ないと判断された映像が次々に消されていった時、もう人間はこの世には存在しないのだろう。全てが消されてしまった時、人間の生きた証は何一つないのだから。
五感を駆使し、アイデアを出し、”モノ”を生み出し作り続けなければ人間は生き残れないのだろうか。
100年前にはなかったものが今は存在する。
では100年後の世界なんて誰が想像できるのだろうか。100年後なんて、宇宙規模で言ったらもうすぐじゃないか。
世の中の流れに逆らい生き残る術を考えるのも時には必要なのだろう。
”モノ”にはロボットやAIも含まれる。”モノ”は映像だけではない。
外国にいつまでも頼ってはいられない。いつか破綻する時が来る。
モノと映像の共存こそ、人間の生み出したアイデアの証だろう。