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 苦しみの先に見えた光

日常の中で感じる小さな気づきや癒しを共有し、共に心の平穏を目指すブログ

心理学とスピリチュアルの両面から見えてきた「心の真実」

 

長い間、私は苦しみの中にいました。

その苦しみを、親しい人にだけはわかってほしい・・・そう願い続けていました。

 

けれども、現実はその願いとは逆でした。

理解してほしいと求めた相手からは、共感ではなく「嫉妬」という感情が返ってきたのです。

その瞬間、深い寂しさと悲しさに包まれました。

 

でも今の私は、その出来事を違う視点で見ることができています。

彼女が示してくれた態度は、私に「苦しみの本質」を気づかせてくれる大切なきっかけだったのです。

 

スピリチュアルな視点から見ると、苦しみは「魂の成長のサイン」です。

人は、自分の内側にある未消化の感情や執着を手放す時に、どうしても痛みを感じます。

それは悪いことではなく、むしろ「次のステージに進む準備」なのだと思うのです。

 

心理学の視点でいえば、苦しみは「期待」と「現実」のギャップから生まれるといいます。

私は「わかってほしい」と強く期待していたからこそ、理解されなかった時に深く傷つきました。

けれどもその体験を通して、「他人に理解を求めるより、自分が自分を理解してあげること」 の大切さに気づきました。

 

ありがたいことに、私の頑張りを認め、活動の場を与えてくれた年下の女性がいます。まるで娘のような存在です。

また、マダムたちからも温かい応援をいただいています。

これは私が必死に歩んできた姿を、きちんと見てくださる方がいるという証であり、心から感謝しています。

 

苦しみを与えてくれた人も、応援してくれる人も、すべては「私の魂を成長させるための存在」

なのだと思えるようになりました。

だから今は、その出来事さえも感謝に変わっています。

 

苦しみの本質とは、「私たちを本当の自分へと導いてくれる、愛の形」なのかもしれません。

 

 

 

  安心とは何だろう?

 

私はずっと「安心が欲しい」と思ってきました。

 

その中でも一番わかりやすいのが「お金があれば安心」という思い。

収入があれば将来の不安も減るし、生活も安定する。

だから私は「安心=お金」と考えていたんです。

 

でも…心の奥で小さな声が聞こえました。

「そうじゃないんだろうなぁ」って。

 

振り返ってみると、本当に安心を感じる瞬間は別のところにありました。

別居して、この家に来てから、ペットと一緒に過ごす時間。

瞑想している時に訪れる、思考が静まった、ただ存在しているだけの時間。

 

あの感覚こそが、私にとって一番の安心。

だけど、それは好きなときにポチっとスイッチを押して入れるものではないんですよね。

だからこそ「特別」で「ありがたい」ものなんだと思います。

 

今は「お金があれば安心」という考えを手放そうとは思っていません。

生活に必要な安心の一部だから。

でもそれだけに頼らずに、

 

 ・ペットの温もり

 

・ 呼吸に戻るひととき

 

 ・自分の「大丈夫だった経験」

 

そういうものも安心の柱にしていきたいと。

 

少しずつ、内側の安心を育てていきたいなと感じています。

 

 

あなたにとって「安心」とはどんな瞬間に訪れますか?

よかったら教えてくださいね

 

 

 

 愛は、苦しみを通り過ぎたその先にある

私はこれまで、人生の中でたくさんの苦しみや不快な思いを経験してきました。

その度に「なぜこんなことが起こるのだろう?」と悲しく切ない思いで過ごしていました。

 

スピリチュアルの世界では、こう言われます。

「愛の人になりなさい」

ではいったい、愛の人とは、どんな人?

真っ先に思い出すとしたら

キリストを思い出しますが、愛が何なのか?理解できませんでした。

 

ただ、「愛の人になったら今の苦しみはなくなるの?」と思い

私は必死に怒りを愛に変えようとしたこともありました。

 

「怒ってはいけない、愛に変えなければ」

そう自分に言い聞かせながら、心を押し殺すようにして、愛の人になろうと努力しましたが、

ますます、怒りや悲しみで心がいっぱいになり、とても「愛」など見つけられませんでした。

そんな葛藤をずっと抱えていました。

 

そんな時「この苦しみは私に何を教えているのだろう?」と、自分に問い続けてみました。

しかし、苦しみには必ず感情が伴い、冷静に俯瞰して見ることはとても難しいものでした。

 

 

そんな時、出会った言葉は「無理して愛の人にならなくてもいい

愛は、苦しみや怒りを通り過ぎた、その向こうに自然に現れるものだから」

 

その瞬間、ほっとしました。

愛は努力で作るものだと思っていたのに…

“無理して作ならなくていい”と言われ、もう頑張らなくてもいいんだと。

 

 

人は誰もが苦しみを通る。

怒りや悲しみを抱え、葛藤し、自分の心の奥を必死に見つめる。

その道のりは苦しくて、決して楽ではありません。

 

けれど、その苦しみを受け入れ、通り過ぎたとき、

不思議と心は静かになり、すべてを許せる瞬間が訪れました。

 

「愛」の感覚とは自然と静かに訪れる。

だからこそ、私は無理に「愛の人」になろうとしなくていい。

ただ、自分の内面を見つめ、怒りを感じきり、苦しみを受け入れ、そのあと許しが訪れるから。

そうして最後に残るものが、きっと「愛」なのだと、愛を求めている人に伝えたいと思います。

 

人間は最終的に「愛」を選び続ける。

それこそが本当の幸せであり、幸せの源なのかもしれません。