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 苦しみの先に見えた光

日常の中で感じる小さな気づきや癒しを共有し、共に心の平穏を目指すブログ

 自分の中で安心できる居場所を見つける

 

私の過去を振り返ると、家族という集団の中で、安心して心を開ける

「つながり感」を感じたことはほとんどありませんでした。

表面的には家族としてのつながりはありました。

食卓を囲む時間、行事や会話、日常のルール。

でも、心の奥で「ここにいても大丈夫」という感覚は、いつも欠けていました。

 

幼い頃から、思ったことを口にしても否定されたり、

気持ちが届かないことが多かったように思います。

「泣いてはいけない」「怒ってはいけない」「迷惑をかけてはいけない」

そんな暗黙のルールの中で、自分の感情を押し込めて過ごしていました。

私は家族というつながりの中にいるのに、安心感を感じたことがなく育ちました。

 

きっと、同じように感じた方がいると思います。

家族の形式上のつながりはあるけれど、心の中は孤独。

自分を出せない、声を聞いてもらえない、そんな感覚です。

それは、決してあなたのせいではありません。

環境や関係性の中で生まれた自然な反応です。

 

でも、その不足していた「つながり感」は、自分自身の中に作ることもできるのです。

私の場合、まず自分の痛みや孤独を直視することから始めました。

悲しみや怒り、怖れ、これまで否定してきた感情を抱きしめていくうちに、

少しずつ「自分の中で安心できる居場所」が生まれてきました。

 

その感覚は、血縁や形式上のつながりだけでは得られなかったものです。

でも、自分の中で育てた安心感は、外の世界の人との関係にも静かに影響を与えます。

他人の言葉や態度に振り回されにくくなり、自然に、やさしい気持ちで人と接することができるのです。

 

家族の中で得られなかった安心感

それは、私たちの内側に作ることができる。

そして、内側の安心感は、人生で出会うさまざまな人や出来事とも、

穏やかにつながる力になるのだと、私は感じています。

 

 

私の心は 静かに壊れていった

 

まだ子供が幼かった時の花火大会の日のことです。

本当は夫も一緒に行くはずでした。

会社に迎えに行った時、なかなか事務所から出てきません。

やっと迎えに行くと、夫の周りには3人の女性。楽しそうに話している夫がいました。

 

私は遠慮しながら、「今日は子供と花火を見に行くと約束したから、早く行かないと始まっちゃうよ」と声をかけました。

ですが、夫は無視しました。何度声をかけても、無視されました。

 

その瞬間、悲しい気持ちと腹立たしい気持ちで胸がいっぱいになりました。

子供よりも、事務員の女性たちとの時間の方が夫にとって大切なのか?

妻にきつく当たっても、子供を愛する父親はいるのではないかと思っていましたが

残念ながら夫は子供すら愛していなかったのです。

 

涙が出そうになる気持ちを抑えながら、子供と三人で花火を見ました。

子供が中学生になったとき、「あの時のママの横顔が怖かった」と言われました。

あの時は心理学のことなど何も知りませんでした。

 

今ならわかります。あの「怖かった横顔」は自然な反応です。心理学でいう 投影 です。

夫の無関心や外の女性に向ける優しさ、子供より外の女性を大切にする態度が、

私の中で怒りと悲しみとなり、子供に映ったのです。

 

私の心は次第に壊れていきました。

でも今は、その体験を通して「自分の感情を無視しないこと」「自分の心を守ること」

がいかに大切かを学びました。

 

苦しい経験も、心理学やスピリチュアルの視点を通すことで、少しずつ整理できるようになります。

あの日の花火は、私にとって悲しみの象徴であり、同時に学びの始まりでもあったのです。

 

 

 

話しはもどします。

花火大会を終えて、子供と三人で帰宅した時のことです。

家には夫がいました。

 

「なんでこんなに遅いんだ?」

 

その言葉を聞いた瞬間、私は心の中で思いました。

この人は一体何を言っているのだろう?

 

私は、花火を見に行ったことを伝えました。

「本当はあなたも一緒に行くはずだったのに、どうして?」と尋ねると、夫はこう言いました。

「花火大会に行くなんて聞いてない」

「何日も前から言いました」

「知らないよ。なんでこんなに遅いんだって聞いてるんだ。ほんと、頭の悪い女は嫌になるよ。飯は?」

 

言葉が通じないどころか、理不尽な罵倒。

その瞬間、私は自分の存在すら否定されているような感覚に襲われました。

あの日の体験を今思い返すと、これはまぎれもない モラハラ の事実です。

*モラハラは話しをすり替えるテクニックを使います。

心理学的にこれは典型的な操作手段のひとつです。

被害者の混乱や罪悪感をうみ、加害者が有利に立つ為の戦略です。

心理学でいう「ガスライティング(現実を歪められる体験)」や「精神的虐待」の典型例です。

*モラハラ被害者の中で、加害者の言動が意味不明と感じる状況があると思います。

 モラハラ加害者を観察してください。

 

私は次第に心が壊れていきましたが、この経験を赤裸々に見つめ、

心理学や投影の概念を知ることで、少しずつ自分を守り、自分の感情を理解できるようになりました。

 

 

経験を言葉にして整理することは、自分自身を癒し、同じように苦しむ人に

希望を届けることにつながると思っています。

 

母を受け入れることは 自分を受け入れること

 

私たちの心の奥には、母親との関係が深く刻み込まれています。

心理学者カール・ユングも例外ではありませんでした。

ユングは、表面上は穏やかで敬虔(うやまいつつしむ気持ち)な父親よりも、

光と影の両面を持った母親の影響を強く受けたといわれています。

 

彼の母親は、優しさと同時に不可解な雰囲気をまとい、

子どもだったユングに「二重の母」という印象を残しました。

一方は温かい母、一方は夜になると変わる、謎めいた母。

ユングが後に「無意識」や「元型(アーキタイプ)」という概念を生み出した背景には、

この母親像の複雑さが大きく関わっていたのです。

 

心理学的に言えば、母親は「自己イメージ」の原型です。

私たちが自分をどう感じるか、他者をどう信頼するか、その基盤をつくるのが母親との関係です。

スピリチュアルな視点から見れば、母親との関係は「魂の最初の学び」です。

母を通して、人間は「愛」「信頼」「境界」を学びます。

 

だからこそ、ユングが深層心理の探求を通じて、

自分の母親像を理解し、統合していったように、

私たち自身も「内なる母」を理解するまでは、本当の意味で癒されることはありません。

 

母親を責めるのではなく、

「母という存在をどう感じ、どう自分の中に取り込んできたか」を見つめること。

その作業こそが、自分自身を深く癒し、自由にしていくプロセスなのです。

 

母親を理解することは、母自身を許すこと以上に、

自分の内なる子どもを抱きしめることでもあります。

ユングがそうであったように、私たちも母親像を理解する時、

ようやく魂が安らぎ、癒しが始まるのだと思います。

 

 

 

私自身も、母親との関係を避けて通れませんでした。

私は母のある部分が大嫌いでした。

しかし、その「母の嫌いな部分」が自分の中にもあると知ったとき、私は絶望的な気持ちになったのです。

 

そこから逃げたいと願っても、現実は違いました。

母親と同じ「嫌悪感を感じる人」が、何度も私の目の前に現れてきたのです。

まるで宇宙が「あなたはまだ学んでいない」と突きつけてくるかのようでした。

 

そして、ついに気づきました。

母の大嫌いな部分は、私の中にも存在していたのだと。

その事実を受け入れたとき、初めて私は母を許すことができ、同時に自分自身も受け入れることができました。

 

不思議なことに、それ以降、私の前に「母の嫌な部分を映し出す人」が現れなくなったのです。

 

心理学的にいえば、これは「投影」という心のメカニズムです。

自分が受け入れられない部分を、他人の姿に映し出して見てしまう。

スピリチュアルな視点から見れば、それは「魂が癒しを求めて起こす現象」なのだと思います。

 

母親を理解することは、自分の影を理解すること。

そのプロセスを通して、私たちは本当の意味で自分を癒し、自由になっていけるのだと思います。