こんにちはウインク

 

北海道の厳しい寒さも緩み やっと日差しも春らしくなり音譜音譜

 

ワンコの散歩も陽気に誘われて 違う道を歩いてみると爆  笑ラブラブ

 

 

至る所で残雪が残る中 枯れ草の隙間から福寿草が咲いていました爆  笑ドキドキ

 

ところが

福寿草の写真は昨日の写真で 今日は一転あせる悪天候ビックリマーク

 

 

北海道では お彼岸ごろに 「彼岸荒れ」と言って大雪が降ります。

(今年は大雪ではなかったですが)

 

子供の頃に 「春」と浮かれていると 大雪が降ってガッカリしましたが

 

彼岸荒れが過ぎると やっと本格的な春の訪れで北海道はこれからが爆  笑音譜ラブラブ

 

緑がいきいきと芽吹き 夏は過ごしやすく 私の大好きな季節になります。

 

 

彼岸荒れとは、毎年春先になると忘れずにやってくる大荒れの天候のことで

 

交通機関が運休することもあります。

 

 

やっと無くなったドックランにまた雪が・・・

 

でも、こに時期の雪は積雪にはならずにすぐ溶けてしまいます。

 

1月、2月の雪は ドックランが使えないほどの雪に覆われています。

 

春のシンボル 桜が咲くのは 5月下旬になるんですよね~ニコニコ

 

早く暖かくならないかな~ラブラブ音譜

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはニコニコ

 

これは私の事でもあり、精神的に子供のままの大人って 結構います。

ただ、子供のまま成長出来てないと気が付いていない人の方が多いように感じます。

生き辛い原因を周りのせいにしたり、不満が多いです。

(私もまさか自分が精神的に子供だとは思ってもいませんでした)

でも生き辛さの原因を探ると確かに精神的に子供ままでしたあせる

 

こんなことに心当たりがありませんか?

小さい頃 嫌々大人の言う通りに 従ってきませんでしたか?

1回や2回ではなくて 日常的に従わされ成長したでしょうか?

 

何かと言うと暴力を振るわれたり  子どもらしい遊びを禁止されたり

大人の顔色ばかり見て成長してきませんでしたか?

お兄ちゃんだから、お姉ちゃんだからと言われ 我慢ばかりさせられてきませんでしたか?

甘えたくても 甘える事を許されなかった経験はありませんか?

いつも良い子を演じてきませんでしたか?

 

「生きるのか辛い」

「自由にしている人が許せない」

「他人のわがままが許せない」

「自分だけいつも頑張っているように感じる」

「自分は何が好きで、何が嫌いか?がわからない」

 

心理的に成長してして、その結果として社会的の適応しているのと、

心理的に成長していないのに 無理に社会に適応しているのとは全く違います。

心理的に成長していない大人は毎日が不満で、面白くない、満足感がない、

表面的には優しく見えるが、本当の優しさに欠けているように思います。

 

小さい頃、家の手伝いをしたくないのに強制的にやらされた子供は 自分が

親になったとき家の手伝いをしない子を許せない気持ちになります。

 

小さい頃、思いっきり泥だらけになって遊んだ子は どろんこ遊びを卒業していきます。

その年齢にあった 遊びをやった子は 卒業していきます。

しかし、心理的に成長していない大人は 大人のプレッシャーでやりたいことを

やってこなかった人たちです。

思いっきり親に甘え 親に受け止めてもらえた子供は心理的に成長出来ます。

心理的に成長していない大人は 親からの愛を与えてもらえませんでした。

体だけ大きくなった幼児が社会的に責任ある立場に立たされ 生きるのが辛くなっている

人が多くいます。

 

でも、大丈夫ですウインク

自分で自分を成長させてあげる事ができます

私は次の方法で自分を受け止め、認め、愛してきました。

 

心の中に母なる存在をつくり 心の中で会話をしました。

やりたいことをやれる範囲でいいので 叶えてあげました。

湧き上がる心の声に 否定しない。

一日を大切に生きる

祈りの時間をつくる(宗教とは関係ありません。森羅万象に感謝)

自然と触れる

 

そして、よくここまで生きてこれたね。子供も育てられたね。と

そんな自分に心の底から感謝しました。

自分より立派な人はたくさんいます。でもその立派な人が自分と同じ環境で生きてきたら

どうなっていたでしょうか?

恵まれた環境で育った人には理解できない苦悩を経験し、それでもよく頑張ってきたと

自分に心から感謝し、自分を愛しく思うようになると すべてがうまく回り始めます。

物事に反応しない生き方、相手の立場も以前より考えられるようになりました。

出来事に対して良いとか悪いとかのレッテルをはることもなくなりました。

 

お金でもなく、物でもなく、何もなくても存在そのものが幸せを感じます。

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

​​​​こんにちはニコニコ

 

先日、兄が亡くなりましたえーん

兄と私は実の兄妹ではありません。

子供に恵まれない両親が兄が8~9歳のころ養子に向かい入れました。

 

兄は中学校を卒業すると 折り合いの悪い親と離れるために寮のある高校へ進学

私が2歳ごろなので 私は兄と暮らした思い出は殆どありません。

 

私も大人になり 「兄も大変だったんだな~」と考えるようになり交流するようになりました。

私と兄は年は離れているけれど

親戚からも「仲がいいね~」と言われるほどでした。

 

そんな兄が4年前に肺がんと診断され 闘病生活を続けましたが残念な事に

まだ亡くなるには若い年齢で亡くなってしまいました。

 

兄は奥さんに先立たれましたが 優しい娘さんが最期まで親身にお世話を

してくれて兄は幸せだったと思います。

 

死はいつか誰にでも訪れます。

突然この世を去ることもあれば 長い闘病生活で亡くなる場合もあります。

兄の闘病生活を見て 勉強に成ったことが沢山ありました。

 

死について考える事は嫌な事と思われがちですが、残された家族の為にも

自分の為にも 考えてみる必要があると思います。

 

兄の闘病生活の4年間 介護する立場の心の葛藤を姪っ子から聞き

又、私も2人の親の介護の最中には葛藤してきました。

なので、自分が介護される立場に成ったときはどのような最期を希望するかを

家族に伝えておこうと思います。

 

そして、一番大切なのは精神的清算だと思います。

過去のわだかまりや悲しみ苦しみなど、また過去に行った自分の行為に対して

後悔していることがあったら清算してしておく事が大切だと思っています。

これが出来ていないと一番身近で親身になってくれる相手に対しての依存心が

強くなり、甘えから親身になってくれる人を傷つけてしまうことがあります。

親身になっている人から見れば「何が不満なの?」と心を痛めます。

 

 

人はいつ亡くなるかわかりません。

心の準備なしでこの世を去る事になるかもしれません。

なので元気なうちに やりたいことは後回しにしないで行動に移し

介護された時の為にも家族に意思を伝えておこうと思いました。

 

亡くなる前には「ありがとう」と家族や友人、地球、自分の肉体に感謝を言って

この世を去りたいと思います。

 

 

死は決して悲しいことではありません。

肉体から意識が離れるだけで  意識は永遠です。