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 苦しみの先に見えた光

日常の中で感じる小さな気づきや癒しを共有し、共に心の平穏を目指すブログ

私の聖地が奪われた日

 

こんにちは。

今日は少し重たいお話になるかもしれません。

でも、今だからこそ書ける気がして、心のままに綴ります。

 

私はある日、「もうこれ以上は無理だ」と思い、家を出ました。

心も体も限界でした。

 

私にとって、あの家の厨房は“聖地”でした。

夢に向かって一歩一歩、私らしく進むための場所。

それが突然、奪われました。

 

暴力におびえながら、私は慌てて家を出ました。

だから、買ってあったイチゴが傷んでいたのかもしれません。

でも、他の材料――高価なカカオバターや手間をかけて冷凍保存していた材料まで、

「だらしない」「汚いから」と、全部捨てられていたのです。

 

涙が出ました。

お金の問題だけではないのです。

それは、私の“時間”であり、“愛情”であり、“願い”でした。

 

どれだけ私から奪えば気が済むの?

私はただ叫びたくなりました。

 

返してほしい。

あなたに注いだ愛情も、信じて過ごした時間も。

 

でも私は、心のどこかで思っています。

あの時間は無駄ではなかった、と。

あの苦しみが、私を成長させ、今につながっていると信じているから。

 

…だけど。

 

私はやっぱり、お金で償ってほしい。

ペットの医療費を払ってほしい。

生活もギリギリです。

だからこそ、1円でも多く払ってほしいと願うのは、私の正直な気持ちです。

 

もしかしたら「欲張り」「執着」だと思われるかもしれない。

でも、同じような経験をした友人がこう言ってくれました。

「それは当然の感情だよ」って。

 

私はその言葉に救われました。

 

人の苦しみは、その人にしかわからないかもしれない。

でも、苦しみを乗り越えた人には、深い共感力が育つと思うのです。

 

私はこれからも、自分の思いを正直に綴っていきます。

誰かが、同じような気持ちを抱えた時、

「わかるよ」って、そっと寄り添える存在でいたいから。

読んでくださって、ありがとうございます。

また書きますね。

ずっと言えなかったことがあります

 

 

今も書きながら手が震えています。

でもようやく、少しだけ言葉にできそうです。

 

私の人生の中で、もっとも苦しかった夜の話です。

あの時、「書くこと」がなければ、私はもう生きていなかったかもしれません。

 

娘が救急病院の治療を終えて、帰って来た夜のことです。

夫は治療を終えたばかりの娘を殴った。

理由は飼い猫が娘の部屋でうんちをしたこと。

私は殺意を感じながら、でもぐっと堪えた。

 

「大丈夫。お母さんが掃除しておくから」

そう言って娘を別の部屋に寝かせたあと、

私は泣きながら部屋を拭いた。涙でぬれた雑巾を絞りながら。

 

そして私は、便箋に心のすべてを綴った。

夫のこと、娘への思い、そして死の決意まで。

 

でも、最後の一行を書いたとき、ふと思った。

「今日じゃなくてもいい」

 

その言葉が、私を止めてくれた。

私を救ったのは、「書くこと」だった。

 

 

この夜のことを思い出すたび、

「言葉にすることの力」を信じずにはいられません。

 

自分の感情を書き出すことで、

私は何度も「絶望のふち」から戻ってこれました。

 

いま、過去と向き合いながら書き進めています。

これは、私の魂の記録でもあります。

 

もし、あなたが苦しい想いを抱えていたら…

ノートでもスマホでもいい。

誰にも見せなくていいから、自分の心の声を「書いて」あげてください。

 

それが、あなたの命を守ってくれるかもしれません。

何年もたってから、夫にこのことを聞いた時

「そんなの知らない。」と、とぼけた。

こんな誠実さのかけらもない人に、いつまでも過去を縛られたくはないと思う

 

                          愛の道を歩むという選択

 

 

ずっと私は、心の奥にある苦しみから目をそらして生きてきたのかもしれません

モラハラの中で、否定され、傷つけられ、見捨てられたような気持ちを何度も味わいました。

 

「全部お前が悪い」

「こんな飯、食えるか」

…ベランダからご飯を投げ捨てられたこともあります。

 

私は夫婦というのは守り合うものだと信じていたのに、

いつの間にか、相手は、私を道具のように扱っていたのかもしれない。

それでも、「きっとこの人も傷ついてる」と思いたかった。

だから、私は長い間、自分の気持ちを抑えてきたのだと思います。

 

でも、ある日、もう心が壊れそうになった。

「私は何のために生きているんだろう?」

「私は本当に愛されていたのだろうか?」

 

そこから、私は自分の内面を見つめることを決めました。

 

でもね

自分の心と向き合うって、ほんとうに苦しいんです。

思い出したくない記憶が次々に浮かび、

怒り、悲しみ、恨み、そして深い孤独があふれてくる。

 

他人のせいにしている時は、確かに少し楽なんです。

まるでアスファルトの上を歩いているように。

道は平らで、歩きやすく、苦しさからも目をそらせる。

でもその道は、あるところで、突然途切れる。

そこに待っているのは「迷いの道」。

どこに行ったらいいか分からなくなる。

本当の自分の声が、もう聞こえなくなる。

私は、そんな道の途中で、立ち止まりました。

そして覚悟したんです。

 

私は、愛の道を歩いていく。

 

この道は茨が生えていて、時に痛みを伴います。

でも、確かなものがあります。

私の魂が、こっちだと叫んでいる。

愛と真実のある道を選びなさい、と。

 

ペットたちがそっとそばに寄り添ってくれます。

彼らは、何も言わないけれど、私の苦しみを全部わかってくれている気がします。

そして私自身も、もう私を見捨てないと決めました。

誰がなんと言おうと、私は私を守り抜く。

 

今、私の元に「話を聞いてほしい」と言ってくれる方がいます。

きっとその方も、同じように苦しんでいるのだと思います。

 

私はこれから、私の中にある「深くて優しい愛」を表現していきます。

苦しんでいる誰かの心に、そっと寄り添えるように。

助けを求める声に、気づけるように。

「一緒に歩いていこうね」って言えるように。

 

あなたの心が、少しでもやわらぎますように。

そして、あなたもまた、自分自身を見捨てないでいられますように。