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 苦しみの先に見えた光

日常の中で感じる小さな気づきや癒しを共有し、共に心の平穏を目指すブログ

モラハラに心をこわされないで・・

 

 

果物店で出会ったAさんは、まるで天からのギフトのような存在でした。

彼女は私の作るお菓子に興味を持ち、いろいろな方とのご縁をつないでくれました。

そのおかげで、私は「販売してみよう」と初めて前向きに思えたのです。

 

自宅の2階に小さな厨房を構え、ひとつひとつ丁寧に作っては、手渡しで届ける日々。

ホームページを立ち上げると、大口の注文が入り始め、未来の光が少しずつ見えてきました。

 

でも、その矢先――

夫の態度が日ごとに険しくなっていきました。

 

「お前なんかが作るお菓子、誰が買うんだ」

「そんなもん作ってないで働けよ」

「コンビニでバイトでもしてろ。そんなの働いてるうちに入らねぇよ」

 

私がいくら「これも仕事だよ」と言っても、

夫にはまるで“私の存在”自体を否定するような言葉しか返ってこない。

 

かつて、夫の白いシャツに私のものではない髪の毛がついていたことがありました。

問い詰めたあの日から、夫は自分の洗濯物を自分で洗うようになりました。

けれどその出来事すらなかったかのように、今では私を

「主婦失格」「家のこともやらないダメ女」となじってきます。

 

「〇〇さんはお前と違って働き者だ。昼も夜も働いてるぞ」

 

私は静かに答えました。

「私も、子どもを保育園に預けてずっと働いてきたよ」

 

けれど、その言葉は彼の耳には届きませんでした。

 

私はもう、彼の“枠の中の女”ではいられませんでした。

自分の足で生きていく。そのためのお菓子づくり。

それは「生活のため」だけではなく、「命の輝きを取り戻す手段」だったのです。

 

夫の怒りはさらに激しくなりました。

ある日、首のたもとをわし掴みにされました。

恐怖で妻を支配しようとしたのです。

何度か同じことが続いたある日、今度は大きく上下左右に振り回し

思いっきり出を離しました。

 

私は床に転がりこみました。それでも、まだ気は済まなく

「ぶっ殺す」と言った、あの顔、あの目。

あれは、人間じゃない。

外では紳士的な態度、それがモラハラ被害者を苦しめます。

 

でも、地元の警察官が

「旦那さんは認知が歪んでいる。目が尋常じゃない」

と言ってくれたことが救いでした。

私に対する被害が大きかったら、子供を守れない

 

「このままでは殺される。」

「一歩間違えば、あの時カウンターに頭をぶつけていたかもしれない」

 

 

そして決めました。家を出よう、と。

 

20歳の猫を含む、3匹のペットとともに。

環境が変わるとこの子たちに負担がかかることはわかっていました

でも、だからといって置いてはいけない。

モラハラは弱いものを攻撃することを知っていたから。

ゲージに入れたペットたちを玄関に置いて準備をしていると、

夫はそのゲージを蹴飛ばしました。

私がいなくなったら、弱い命にその怒りが向かう。

 

私は声を上げます。

モラハラは、確実に心を壊します。

 

暴力は、体だけでなく、尊厳を奪います。

そして加害者は、どこまでも“自分が被害者”だと思っている。

 

私は、この真実を発信していこうと決めました。

 

 

 

 

私が人生を取り戻し始めた瞬間

 

 

私はあのとき、世界に見捨てられたと思っていました。

そして――私は、自分をも見捨てた。

 

でも、私の魂だけは生きていた。

小さな声で、でも確かに叫んでいたのです。

 

「こんな生き方、もう嫌だ。私らしく生きたい」

 

 

そして、あの日。8月15日。世の中はお盆の真っ最中。

 

私はネットでカウンセラーを探していました。

一軒目は出なかった。

 

「そりゃそうだよね。私、見放されてるし…」

 

そんな思いが頭をよぎったけれど、それでも、私はあきらめなかった。

 

二軒目のカウンセラーに電話をかけました。

そこから、私の運命は変わり始めたのです。

 

電話に出てくれたのは、女性のカウンセラーでした。

その声は優しく、そして温かく、私の話を親身に聞いてくれました。

 

「どうせ私なんか」

そんな思いでいっぱいだった私でしたが、

どこかで、本来の素直な自分が顔を出していたのだと思います。

 

 

そのカウンセラーは心理学をベースにしながら、

スピリチュアルにも深い理解がありました。

 

私は、まるで乾いた大地に水が染み込むように、

彼女の言葉を吸収していきました。

 

「スポンジのような人ですね」そう言われたのを今でも覚えています。

 

それは、私が「素直」だったから。

だからこそ、どんどん心の仕組みを理解していくことができた。

 

 

私は、自分がどれだけ深く傷ついていたか、

そしてその傷が、どれほど子どもたちをも傷つけてきたかを、

少しずつ紐解いていきました。

 

でも――

それだけでは終わりませんでした。

 

心の仕組みは理解しても 夫が立てる 物音に、

私の身体が勝手にビクッと反応しました。

 

私は気づきました。

 

「これは心だけの問題じゃない。体が、命が、ずっと怖がってる」

 

 

私は次に、瞑想の道を選びました。

 

10日間の瞑想合宿。場所は京都。当然、夫が許すわけがありません。

 

でも私は言いました。このままでは私は壊れる。

「行かせてくれないなら離婚してください」

 

夫はしぶしぶ承諾しました。

そしてこのことを、あとで何度も責めてきました。

 

「お前、瞑想なんかやって、馬鹿になったな」

「最近やってないじゃん。瞑想なんて、何の意味があるんだよ」

「だから頭がおかしいんだよ」

 

そんな言葉で、何度も私を脅そうとしました。

でも、私はもう、前とは違っていました。

 

瞑想が教えてくれたのは、「動じない心」だった。

 

夫の言葉に、以前ほど心が揺れなくなっていたのです。

 

ここからが、私の「再出発」でした。

このあと、私はどうやって人生を立て直していったのか。

 

本当に自分を生きることとは何か。

それを、少しずつ書いていきたいと思います。

よろしかったら 訪ねてもらえると嬉しいです。

 

その後の気づきと、今の私からの想い

 

 

「私があのとき娘を守った」と思っていたことが、

あの日、娘の口からこんな言葉が

 

「私はお母さんに守られたことなんて、一度もない」

 

その言葉は私の胸に深く刺さりました。

私はあのとき、必死に娘を守ったつもりだった。

でも、それは「私の視点」だったと気づかされました。

 

夫は、自分の中の怒りや不安を暴言・暴力という形でぶつける人でした。

最初は私にだけ向けられていたそれが、娘に向かい始めた時、

私はこう考えました。

 

「どうか、私に向けて。娘じゃなく、私を怒鳴って」

 

そして私は、夫の怒りを自分に向けさせるようにふるまいました。

娘に怒りの矛先が行きそうになった時・・意図的に私に向けた

それが「守ること」だと、私は思い込んでいました

そして、怒りをぶつけられた私は我満していましたが、

何度目かの時に、こらえきれずに夫とぶつかりあいました。

 

 

「守ってくれなかった」――その言葉には、

“私の前で大人同士が傷つけ合う姿を見せないで欲しかった”

という、叫びだったのかもしれません。

 

モラハラの中で育った子供から見れば、私も子供達への加害者になるのです。

両親が揃っていなくても、母親が笑っていてほしかったと思います。

 

母親が我慢や、辛い思いをして、悲しむ姿をみて子供は心を痛めていたでしょう。

 

そして、知らず知らずのうちに、私のストレスは子供に向きました。

夫の事を子どもにグチることも立派なモラハラ行為だと今なら思います。

 

それでも、その時は一生けん命頑張った。

そんな自分を責めないで受け止めてあげられる優しさを自分に向けていこうと

決心しました。

 

 

 

その後、娘は夫の電話を着信拒否設定にしました。

家族は皆、違う方向を向いてしまった。

 

別居した今でも、夫は時折攻撃的な言葉を投げかけてきます。

自分で感情の整理ができない人。

自分で自分の機嫌が取れない人。

 

私もかつてそうでした。

誰かの機嫌に振り回され、いつも自分を責めて生きてきた。

でも今は、少しずつ気づき始めています。

 

 

スピリチュアルな視点で見れば、すべては学び。

どんなに痛みのある関係も、どこかで自分の魂に問いかけている。

 

「それでも、あなたはどう生きる?」

 

私は夫を裁くつもりはありません。

その人にもその人なりの「過去」があるのでしょう。

 

でも私は、もう人の怒りの受け皿になることを手放しました。

 

私は、私の道を歩きます。

誰かのために我慢するのではなく、

「自分を愛し、自分を許し、自分のために生きる」

それが、やがて周囲にも優しさの連鎖を生むと信じています。

 

 

今日も、こうして書けたことに感謝します。

読んでくださって、ありがとう。

 

もし、あなたの中にも「私も…」という思いがあれば、

小さくても紙やスマホの中に綴ってみてくださいね。