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 苦しみの先に見えた光

日常の中で感じる小さな気づきや癒しを共有し、共に心の平穏を目指すブログ

あるお菓子のコンテストに参加して

 

 

私はあるお菓子のコンテストに、

「ぜひ参加してみて」と強く勧めてくれた女性がいました。

 

内心、「まさかね」と思いながら、

軽い気持ちで応募したお菓子が、まさかの一次審査を通過。

 

驚きと同時に、

「人生にはちゃんと意味のあるタイミングで人が現れる」

そんな感覚が胸に広がっていきました。

 

人生は、人と人とがつながっていくことで動いていく。

 

未来もまた、人とのご縁から形づくられていく。

 

そう思ったのです。

 

その出会いも、ただの偶然ではない気がしています。

自分の内面にあるものが、外の世界を引き寄せている。

たとえば、私が深いところで罪悪感を握りしめていたときは、

どこか似たようなエネルギーを持つ人と巡り合っていました。

でも今、私が「許し」や「愛」に向かおうとするとき、

差し伸べられる手も、語りかけてくれる言葉も、

どこかあたたかく、力強いものになってきたのです。

 

そしてコンテストの二次審査。

まさか、ここも通過できるなんて。

 

SNSの先生が、

「とにかく楽しんでやってみよう」

と言ってくれた言葉が、背中を押してくれました。

 

審査会場では、緊張よりも感謝があふれ

 

「こんな機会をいただけてありがたいな」

「今日は思いきり楽しもう」  そう決めて挑んだのです。

 

見えないけれど、確かにある。

言葉にできないけれど、ちゃんと感じる。

 

人のご縁やエネルギーは、いつも私を導いてくれている。

そしてまたここから、新しい出会いが始まりました。

 

まだまだ先は見えません。

でも私は、

“今この一歩”を信じて、確かに歩いている

罪悪感の手放しと、心の叫びがz私を自由にした日

 

 

 

 

潜在意識を学び始めてから、

私を苦しめていたものの正体が、少しずつ見えてきました。

 

それは、「お金への恐れ」と「罪悪感」。

特に、罪悪感はとても根深く、知らず知らずのうちに私の人生を縛り続けていたのです。

 

罪悪感を持つことで、私は「苦しい現実」を次々と引き寄せていました。

「こんなに頑張っている私を、もう許してほしい」

そう叫びながら、その罪悪感を“免罪符”にしていたんです。

 

でも、本当は違いました。z

自分を許さない限り、外の世界は私に“苦しみ”を映し続けていたのです。

 

私はようやくそのことに気づき、

罪悪感を手放すことに「許し」を与えることにしました。

 

特に強かったのは、子育てへの罪悪感でした。

心の中で何度も子どもに謝っていました。

「ごめんね、ごめんね」と…。

 

でも思い返せば、

その時の私は、その時なりに一生懸命、子どもに愛を注いでいたのです。

足りなかったかもしれない、間違っていたかもしれない。

けれど、私にはあれが精一杯だった。

 

だからもう――

私は私を、許そうと思ったのです。

 

そしてもうひとつ、私には「夫を許したい」という気持ちもありました。

許しこそが、私たちを救うと信じていたから。

 

けれど、どうしても怒りが湧いてこなかった。

怒りを表に出すことが、格好悪いこと、恥ずかしいことのように思えて、

ずっと心の奥に押し込めていたのです。

 

そんなある日、参加した潜在意識のセミナーで、

私は抑えていた感情のフタが外れてしまいました。

 

100人以上の参加者がいる中で、

心の底から湧き上がった怒りと憎しみが止まらなくなりました。

 

「ふざけんな!」

「あいつ、なめやがって!」

「馬鹿にするのもいい加減にしろ!」

 

とめどなく言葉があふれて、私は自分でも止められませんでした。

でも、あの時止めていたら――

きっと私はまた、自分の心を奥底に押し込めて、生きることを諦めていたかもしれません。

 

恥ずかしかった。怖かった。

でも私は、自分をさらけ出した。

 

そして、ようやく気づいたのです。

「私が私を信じればいい」

「私はここにいていい」

「私はもう、誰の許しもいらない」

あのセミナーのあの日、

心の叫びが、私を少しずつ“自由”にしてくれました。

 

そして今、私はまだ道の途中だけど、

確かにあの頃の私より、ずっと軽やかに、ありのままの私を生きています。

 

(つづく)

その答えは私の中にあった

 

 

私はこれまで、さまざまな人との関係に苦しんできました。

 

母親、夫、自然食品店の高齢の女性、果物店の社長…

不思議といつも似たような人が現れるのです。

怒鳴る人、支配しようとする人、理不尽に振り回してくる人。

優しい顔をして近づいてきて、ある日突然豹変する――

そんな人たちとの関わりの中で、私は何度も傷ついてきました。

 

でも、そこにはいつも気づきがありました。

 

自然食品店の女性と暮らす話が出た時、私は救われるような思いでした。

夫との関係は限界で、暴言や浮気、もう終わらせたかった。

だから、その女性の申し出は「新しい人生の扉」のように見えたのです。

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けれど、関係が深まるにつれて、その女性もまた母と同じような

強い言葉や支配的な態度を見せるようになりました。

私はその感覚に耐えられず、お店を継いで欲しいと言うお話を断りました。

 

次に出会ったのが、果物店の社長。

少し変わっているけれど、果物に対して強いこだわりと才能をもった人でした。

自分のお菓子づくりともつながり、夢も膨らんでいました。

けれど、ここでも同じことが起きたのです。

気に入らないと怒鳴られる。

ああ、まただ――。

 

でも、その果物店で出会ったAさんという女性とのご縁は

今も深く続いています。

だから私は気づいたんです。

どんな経験も、決して「無駄」なんかじゃない、と。

 

それでも、どうして私はいつも似たような人に出会うのか?

なぜ同じパターンを繰り返すのか?

ずっと、その問いが私の中にありました。

 

ある日、ある交差点・・

私はふと、意識が広がるような感覚に包まれました。

言葉では説明できないけれど、確かに「わかった」んです。

この世界はすべて愛でできているということ。

そして、繰り返し出会う「あの人たち」は、私に

“私自身の内側”を映し出してくれていたのだと――。

 

私はようやく認めました。

私の中にも、同じ「激しさ」や「意地悪さ」があったということを。

それはとても苦しい気づきでした。

でも同時に、心の奥底から安堵するような感覚もありました。

 

「そうか、私はずっと、自分自身と向き合っていたんだ」

 

その瞬間から、私は深い許しへと導かれていきました。

今まであれほど憎んでいた夫に対しても、

「もう一度やり直そう」と思えたのです。

 

その時、私はまだ「モラハラ」という言葉も知らず、

ただただ、心のままに「許し」を選びました。

 

――でも、それはまた次の学びの始まりでもありました。

 

(つづく)