あれから4年・・・ | シャアのひとりごと

シャアのひとりごと

2010年11月にauoneブログから移転。
基本的に、趣味、興味があることや
その日にあったことを書いています。
最近はあつ森とスプラ3のことが多いです。

東日本大震災発生から、早いもので4年が経ちました。

当時自宅にいた私は、コンポで音楽を聞きながらのんびりプラモデルを組み立てていました。

ケータイは隣の部屋に置いてあり、コンポの音楽のせいで緊急地震速報が鳴っていたのは気付きませんでした。

揺れ始めた時、2日前にも大き目の地震があった(2011年3月9日午前11時45分頃、最大震度5弱)ので、最初はその余震かと思ったのですが、とんでもない間違いでした。

揺れは更にひどくなり、体感的にも1978年発生の宮城県沖地震の揺れを上回り、揺れている時間もかなり長く感じました。

揺れ始めからTVは付けていたのですが、長く激しい揺れで途中で電源が落ち(停電になった)、その後の状況はカーラジオで知るしか方法がありませんでした。

ケータイのバッテリーも残り僅かで、ワンセグを見ることは出来ませんでした。

揺れが収まってから家の中を確認すると、あちこちめちゃくちゃになっていて足の踏み場もありません。

一度外にも出てみましたが、2つ隣の部屋に住んでいた女子大生が出てきており、お互いに体の安全を確認した後、少しの間2人で近所で発生したマンション火災を見ていました。

火災は、通りかかった警察官が消防に通報したようで、少しして消防車が来たので良かったです。

余震も頻繁に起こることから、雪が降る中、旦那さんが帰ってきてから一度近くの小学校へ避難したものの、既に避難者で校舎内は溢れており、炊き出しも受けられる状態ではなかったので、諦めて自宅へ帰り、車の中に布団を持ち込んでそこで寝ることに。

午後10時30分頃、うとうとしていると、突然私のケータイが鳴りました。

びっくりして電話に出ると、母方の伯父(母の兄)からの電話でした。

取り敢えず無事を伝えましたが、実家とまだ連絡が取れていないことを話すと、伯父から実家に連絡がついたら無事だと伝えてくれるとのことだったので、お願いして電話を切りました。

その後も余震は続き、あまり寝られないまま、翌朝を迎えたのでした。

当時のことをざっと書くとこんな感じです。

明日以降、被災地の情報が少なくなっていくと思いますが、震災のことは少しでも多くの方に忘れないでいてほしいと思います。