今日で震災が発生してから2年。
我が家の生活はほぼ通常に戻りましたが、津波で被害を受けた沿岸地域や、福島の原発事故で避難されている方がまだたくさんいらっしゃることを思うと、何ともやりきれない気持ちになります。
震災当日のことはブログにきちんと書いていなかったので、ここで改めて書いてみたいと思います。
震災発生時はコンポで音楽をかけながら、のんびりプラモデルを作っていました。
前々日の9日も大きな地震がありましたが、翌10日の新聞では前々から言われていた「宮城県沖地震」ではないと書いてあり、少しホッとしていました。
ケータイは隣室に置きっぱなしで手元になく、音楽をかけていたこともあって、緊急地震速報が鳴ったことは知りませんでした。
そして午後2時46分、震災発生。
最初は「お、地震だ」ぐらいにしか思っておらず、石油ファンヒーターとコンポを止めてTVの電源をONにしたのですが、そのうち揺れが尋常ではなくなったので、慌てて台所にある食器棚を抑えに行きました。
食器棚は扉を手前に引いて開ける「観音開き」だったせいで、扉が少し開き中の食器が落ちて割れていましたが、玄関前に置いていたため、倒れると家から出られなくなってしまう可能性があったので、半開きの扉を抑えつつ隣の棚と一緒に抑えていました。
そのうち停電になってTVも映らなくなり、諦めて揺れが収まるのを待ちました。
揺れが完全に収まってから、ケータイで旦那に連絡を取るもなかなか繋がらなかったのですが、何度も掛けているうちにようやく繋がり、しばらくすると旦那が帰って来ました。
部屋の中は、PCが倒れていたり、タンスが移動していたり、本棚から本が飛び出していたりで、足の踏み場もないくらいでした。
その後も余震は収まらず、チラチラ雪の降る中、何か食べるものは貰えないかと避難場所になっている小学校へ行ったものの、中は住民で溢れていて何も貰えそうになかったので諦めて家に戻り、毛布と布団を持ち込んで当日と翌日の夜は車中泊しました。
夜になっても余震は続き、車の中では寒くて(車のガソリンが殆ど無かったので、暖房も入れられませんでした)なかなか寝付けませんでした。
翌日、近所のスーパーが暫定営業していることを知り、余震に怯えつつ何時間も並んで、食料やカセットコンロのガスボンベなどを手に入れました。
13日の午後、隣室の奥さんから電気が復旧したことを教えてもらい、TVを付けてみました。
旦那の実家からラジオを借りてきて情報収集はしていたものの、大津波が来たことや福島の原発が爆発したことなど、あちこちでとんでもないことが起こっていることを、改めて映像で見てとてもショックを受けました。
それ以来、震災関連のニュースや特集番組を見ると気分が悪くなるので、見ないようにしています。
ですが、今日の午後2時46分はTVを付けて、震災で亡くなった方の追悼の意味をこめて、黙祷を捧げたいと思います。