【母親が危篤】18歳で人生が変わった話 | 海外駐在2児のママ

海外駐在2児のママ

ワンオペ海外駐在妻
4歳と2歳の子育て中
今更英語学習中

英語学習/2学年差年子育児/旅行/数年後に妊活開始予定


どこにでもいる普通の大学生だった私。

サークルに行くために、
いつものように歩いていました。

父からの一本の電話で全てが変わりました。
「ママが意識ないねん!早く家に帰ってきて!!」

訳が分からなくて、でも自然と涙が溢れていました。
前日まで合宿だったので、余計に困惑してました。

人ってこんなに涙が出るんやって
ぐらい泣きながら走っていたら、
自転車に乗ってたおばちゃんが
話しかけてきました。
「どないしたん??」

一気に現実に戻りました。
走りながら、
「お母さんが意識ないから、早く帰って来いって言われました」と言ったら、
おばちゃん「大変やん!あんたも気をつけて行きや!!」と言ってくれました。

今思えば、よっぽど凄い泣きながら
走ってたんやと思います😭笑

でも、あのおばちゃんが声掛けてくれたので
意識をしっかり持って無事に家に帰れました!

母親は2階の寝室にいました。
意識が朦朧としていて、失禁していました。
明らかに様子がおかしい。

父に「救急車呼んだの?」って聞きました。
「呼んでない。」と言われました。

なんで?なんで?なんで???と慌てて
受話器に手を伸ばし、
救急車を呼ぼうとしました。

母親が「大丈夫やから、ほっといて」
と強く言われました。

父と母は、前日の夜に喧嘩をしたらしく
朦朧とした中でも、喧嘩した記憶が残っていたみたいです。

父は物凄くオドオドしていました。
「救急車呼ばなくても大丈夫かな?」と
言われました。

きっと動揺しすぎてたんだと思います。

私は「あほちゃん?!どうみても死にそうやん!!呼ばなあかんわ!!」と言って電話をかけました。

10分後に救急車到着。

これで助かるんや!と安堵しました。
現実を知らなかったから。

受入れてくれる病院がなかなか見つかりません。
本当に何件も何件も、救急隊員の人が電話をかけてくれていましたが、どこの病院も拒否。

やっとのことで受け入れ先が決まったときには
すでに数時間が経過していました。

しかもだいぶ家から遠い大学病院。

その日は、お医者さまから
大丈夫だろうと言われました。

しかし、次の日に病院から電話がかかってきました。
「目を覚ましません」

なんで?昨日大丈夫って言ったやん??
と思いながら、、、
精密検査をしました。

癌です。
しかも色んなところに転移していると。

母親は家族の誰にも言ってなかったのだと
分かりました。

心配をかけたくなかったから??

聞きたくても、母親は目を覚ましてくれません。

1ヶ月ほど危篤状態でした。
毎日、学校終わりに病院に通いました。

起きるはずのない母親に
毎日話しかけていました。

毎日毎日、後悔しました。

なんで、もっと大切にできなかったんだろう。
なんで、もっと優しく接しなかったんだろう。
なんで?なんで?と罪悪感と後悔ばかり。

なんで優しい母がこんなんになって、
口が悪い私は生きてるの?とも思いました。
逆だったら良かったのに。
そしたら、こんなに悲しんでいる人は
いなかったんじゃないかなって。

毎日、泣いていました。

奇跡が起こりました。
母親が目を開けた!!!

喜んでいました。また一緒に暮らせるって。

でも、現実は甘くなかった。

心臓と脳を同時に手術する必要がある。
もし、しなかったら死ぬ。と、、、

すぐに手術してもらいました。
成功する確率も低く、何時間もかかる手術でした。無事に成功。

お医者さまからは、
「今回は成功したけど、余命は後1年だと思う。転移しすぎてる。中には5年と言ってる医者もいるが、よくて1年が妥当。」と、、、

考えもしなかった。
親がいなくなるなんて。

このことをきっかけに私の性格は
かなり変わりました。

よく自分で考えるようになりました。

毎日を大切に生きよう。
周りの人に感謝しよう。って


おわり