●ほどほどにな・・・

というのが、岳父の私への最後の戒めかもしれません。

 

ほんとうは5/17(日)は、浅草の三社祭にでかけるつもりだったんですけどね・・・しかも、三之宮お神輿の宮入のお手伝いとして・・・・ (いやぁ、行きたかったな・・) 

 

しかし、 父を見送ることとなりました。

 

なんだかんだで、1988年から38年のお付き合いだったということですな、岳父とは・・・

 

1988年にひょんなことから、ご縁ができ、まだ身内でもないのに、彼の家に週末転がり込んでは寝泊まりしておりました。しかし、いま考えると、とんでもないですな。

かれはまだ現役の教育者、中学校の校長先生でした。

 

娘の婿になりそうだ、とはいえ、よくもまぁ結婚する前から息子のように扱ってくれたものだといまさらながら思います。しかも38年前

その当時はそんなに父と話をした記憶もありませんが、

食卓なんかは他の家族と同じように囲んでいたように思います。

 

そうね、38年経ってたんですね・・・

最期までとても気丈な、しっかりした方でした。

やはり先生、そして校長ともなると頭の回転も、お話しするその形も、資料の作り方も徹底していたように思います。

 

大病もそれなりにやり過ごされてきたのですが

94歳、身体の器官器官も騙しだまし機能していたのでしょう。今年年始お正月早々に、腹痛を発しそのまま入院

するともう、そのだましだましの機能が、ここぞとばかりに悲鳴を上げて、そのままの治療

「家(うち)に帰りたい」となんどもいいながら、

最後は家の近くの、高齢者ケアハウスにて過ごされました。

 

で、頭は最後までしっかりしていたのですが、

次第に食欲も、水分もとらなくなり、

最後は「眠るように」 身罷ってしまいました。

 

家族、親族とも今年に入ってからの彼のその姿、推移からそれなりに覚悟はしていたのでしょうが

さいごは、ほんとうに すっと眠ってしまいました。

 

私はその最後の前日も妻と顔をだし、つまに私が来ていることをはなしてもらうと・・・たしかに、ですが

「感謝!」 とひとこと言ってくれたように思います。

 

年月、月日とはほんとうにあっという間なのですね

冒頭に記載のとおりですが、

38年もかれとの付き合いがあったなんて、という感じです。

 

5月14日 20時20分(正確には19時40分)

岳父逝去 享年94歳

 

冒頭の写真は告別式にてかざらせてもらったもの

下代田西町会の第6代町会長時代 に

お神輿の購入に尽力されたのでした。

 

お~い 献杯の発声は君だで・・・・

「あ・・しもた、忘れてた・・・」

「まだまだ、詰めが甘いのう・・・」

と聞こえてきそうだな・・・

 

合掌 榎本徹どの