●また、ずいぶんとさぼっちゃってね~

と言われそうだな、おかあさんに・・・

 

はい連日飲んでおります、忘年会シーズンですから・・・

とはいうものの、今年もあと1週間・・・

 

お尻に火がついてきましたがな・・・

なにが・・・って?

 

お年賀状です。

もうね、今年で年賀状を手じまいしますなんてのが、年始にいただいた年賀状でそれなりにありましたけどね

なかには、そんな挨拶もなしに、突然来なくなるのもありましたが・・・

 

はい、朝のラジオ体操、11月の土曜日

あ、来られたな、聞かれるな・・・・

「あのう、今年は年賀状どうされます(買われます)か」

朝のラジオ体操でのみお会いする、常連の大先輩から聞かれる、、、、彼のご子息は郵便局のご勤務・・・

 

そりゃ大変でしょうな、民間になって・・・

この時期はまさにノルマあり、なんでしょうな・・・

 

「はい、では今年もお願いします、200枚で・・・」

「あらぁ、結構買っていただけますね、ありがとうございます」

 

といいながら、その後、大阪での第九合唱参戦やら、なんやらで、ラジオ体操には行けず、ようやくその年賀状を受け取ったのが、12月20日(土)・・・(;^_^A

 

まあね、いつも年末最後に怒涛の如くで、年賀状、宛名、本紙の写真とデザイン印刷に、ひとこと添え書きをするんですけどね。

 

その前に、忌引や、年賀状手じまいのかたの確認をして、宛名印刷の準備をしないとと、それだけをささっと一昨晩やって、

で、うーむ今年出すのは194枚だな、となった次第・・・

適当に200枚買いますといっていたけれど

昨年は確か、足りずであと10枚はコンビニで追加購入したような・・・

(たしか足りなくなったのは書損ですけどね)

 

てな次第ですわ。

でもなぁ、年賀状手じまい、いちばん寂しかったのは

新入社員として最初に入った会社での研修所の所長さん(いまもう、70代後半かなお歳は)

が、年賀状を手じまいしますと書いてこられたことかな、年始年賀状で・・・

 

研修で入って、彼のお宅に皆がよばれたとき、年賀状の話になって、彼曰く「いま年賀状は200枚ぐらいだろうかな、これからどんどん増えてって、800枚くらいまでになれば、サラリーマンとしてもいっぱしだな、みなもそういう出会いを大切にしないとな」

なんてことを言われたんだよな・・・

そして、研修で迎えた正月も、年賀状何枚だしたか?

なんて聞かれたりしてな・・・

いまなら、ちょっとしたパワハラか・・・笑

 

しかし、あの言葉で、たしかに年に一度しかコミュニケーションないんだから、出すか・・・てなもんだったんだけどな。

 

でもこれも、こちらからの一方的なコミュニケーションだし、だったら、フェイスブックでもインスタでも、一方的なコミュニケ―ション方法はあるんだから・・・

もはや、いらんかね?

なんてなるのもやむを得ないことなのかもしれないね。

 

だけどね、年賀状を送ってくれてたからつながっているよ、

なんて飲み会もあったりするんだけどね・・・ 笑

 

まぁ、こちらもひとつひとつ歳をとっているんだし、

そのSNSのおかげで、新規の年賀状出し先はないんだから、

徐々に出す数も減っていくということで、それはそれでいいのかもしれないね・・・

 

いや、郵便局さんは大変でしょうけどね。
 

冒頭の画像は「年賀状 てじまい」でググって拝借しました・・・ あ、手じまいは考えてませんで・・・

⇒ into a novel-like version.

(さきほど ↑のブログを AI に小説風にしてもらいました)

 

 

私の以下のブログを小説風にしてください そうね畠中恵さん風がいいな

 

畠中恵さんの「しゃばけ」シリーズのような、どこかおっとりとしていながら、江戸の粋と人情が漂う筆致でリライトいたしました。

師走の空と、一枚の便り

「まあ、ずいぶんとご無沙汰をして。ちっとも顔を見せないじゃないの」  天から、おっかさんの呆れたような声が響いてく感じがした。

(⇒ おいおい!AI  !     健在ぴんぴんです、母は・・・)

 

 いやはや、面目ない。何しろ極月(ごくげつ)というやつは、どうしてこうも人を忙しなくさせるものか。連日のように酒を酌み交わし、一年の憂いを忘れる宴に興じているうちに、気がつけば今年も残すところあと一週間。

 

 いよいよ、お尻に火がついてしまった。  何が、とお聞きかな? それはもちろん、「年賀の挨拶」のことである。

 近頃は、年明けに届いた便りに「今年限りで仕舞いにいたします」と、店じまいを告げるような言葉が添えられていることも増えた。かと思えば、何の断りもなしに、ぷっつりと音沙汰がなくなる御仁もいる。  寂しい気もするが、これも時代の流れというやつだろうか。

 

 十一月の、ある土曜日のことだ。  朝のラジオ体操へ出向くと、常連の大先輩が私を待っていたかのように近づいてくる。あな、恐ろしや。聞かれることは、端から分かっているのだ。

「あのう、今年はお年賀、どうされますかな」

 この大先輩のご子息は、郵便局というお役所……いや、今では民間の商売か。そちらに勤めておいでだ。この時期、ノルマという名の「宿題」を抱えているのは、どこの世も同じらしい。

「ええ、今年もお願いしますよ。二百枚で」 「おや、それはたくさん! ありがとうございます」

 

 景気のいい返事をしたものの、その後は大阪まで合唱の助っ人に出向いたり、何やかやと取り紛れたり。ようやく手元にその二百枚が届いたのは、十二月も二十日を過ぎた頃であった。

 

 さて、ここからが「怒涛」の始まりである。  まずは、お身内に不幸があった方や、仕舞いを宣言された方の名札をより分ける。一昨晩、慌てて帳面を整理してみれば、今年筆を執るべき相手は百九十四人。  去年は書き損じをしてコンビニへ走った記憶があるから、二百枚という数字は、あながち間違いでもなかったようだ。

 

 それにしても、胸の奥をちくりと刺すのは、かつての師匠の言葉だ。  新入りの頃、研修所の所長さんに教わったことがある。

「今、私は二百枚ほど書いているがね、これが八百枚にもなれば、サラリーマンとしてもいっぱしだ。出会いを大切にしなさい」

 

 正月早々、「何枚出したか」と詰め寄られたのも、今となっては懐かしい思い出である。今時の若い衆なら「パワハラ」だと騒ぎ立てるかもしれないが、あの言葉があったからこそ、年に一度の縁を繋いでこられたのも事実。

 

 今は顔を見ずとも、指先ひとつで近況が知れる時代だ。  「もう、いらんかね」という声が聞こえてくるのも、無理はない。  けれど、年賀状という細い糸が繋がっていたおかげで、久方ぶりの酒が飲めることもある。

 

 私も、ひとつ、またひとつと歳を重ねていく。  新しく筆を執る相手が増えぬのなら、少しずつその数が減っていくのも、それはそれで自然なことなのかもしれない。

 もっとも、売る方の郵便局さんにしてみれば、溜まったものではないだろうけれど。

 

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いかがでしたでしょうか?

江戸の「若だんな」が独り言を言っているような、少しのんびりした情緒を意識してみました。

 

●身近での些細な発見

は何かありますか?

 

が、今日の部門MTG でのアイスブレイクです・・・

 

しかし、今年の風邪はしつこいねぇ・・・

喉の痛みがなかなかとれねぇや・・・

はさておき

 

いまはお仕事佳境 ということなもんで

健全なここ2週間ですよ~ はい、夜の飲み会にいってませんから・・・

かみさんに

「毎日、(わたし)飲まずに帰ってくるのもどうなんかねぇ・・・」なんて、振ってみましたが

「ぜんぜ~ん・・・なんとも・・・」

と返ってきました・・・

まぁ毎晩おいしい晩御飯をいただいているのは感謝感謝なんですが・・・

 

で、その冒頭の些細な発見

なにしゃべろうかな?とおもったのですが

風邪をひいて、しかもお酒を飲んでいないでの

会社への行きかえり、、、での乗り物

 

そういうときにいつも思うのですが

五感、というか、嗅覚やらが敏感なんですな・・・

そう・・・となりの席にいるひとの吐息・・・

が臭かったりするんですわ・・・

 

いやぁ、今朝もだめですな

このひとも昨日「いいにんにく」を食べてないな・・・

ってな具合でして・・・

まぁ、酒臭いよりはまだいいか・・・なんだけど

(いつもの飲み会帰りの自分を差し置いて・・・)

 

オチ・・・はないか

冒頭の写真は「良いにんにく」でググって拝借いたしました。

 

ちなみに良いニンニク といえば AI さんにきくと

ふっくらと丸みを帯びている

身が硬く締まっている

外皮が白くツヤがある

芽は出てなくて、茶色い変色がない

同じサイズなら、持った時にずっしりと重みがある

というものだそうです・・・

 

先日もそんな、良さそうなニンニクを、かみさんが買ってきてくれましたが、それはまもなく

我が家の自家製味噌でもって、「味噌ニンニク」にバージョンアップしてもらう予定です。